8月15日

2002-08-15 jeudi

57年目の終戦記念日。
それはつまり57年間、日本は戦争をしていないということである。家族の誰一人、銃をとって戦争に行ったことがなく、誰からも戦争経験を一人称で聞いたことがないという人々があとしばらくすると国民のほとんどになるだろう。
それがどういうことか、私にはうまく想像できない。
だって、1648年のウェストファリア条約以来、そんな国はほとんど存在しないからだ。
戦争の記憶はつねに物語化される。
うろ覚えだけれどサリンジャーの短編にそんな話があった。
第二次世界大戦に従軍して、精神がぼろぼろになって帰郷した青年が、父親と祖父に向かって、

「あなたたちが自分の戦争経験を『物語』として語ったせいで、戦争はそのリアリティを失ってしまった。私はあなたたちの『物語』を聞いて、戦争というのは浪漫的な要素のあるものだろうと思って、実際に戦場に行ったけれど、あなたたちの『物語』は全部嘘だった」

と静かに告発する、というお話である。
戦争経験を語り継ごうという主張する人がいる。
それはたしかにある意味では有意義なことかもしれない。
でもあらゆる記憶はよかれあしかれ「物語」化される。
私たちの理解できる「意味」の網目に登録されて、「理解」される。
そういうことが誰によっても不可能になるということも、戦争についてはたいせつなのではないか、と私は思う。
戦争が理解不能なものになること、既存のどんな「物語」にも収まらないものになること。
その方が戦争の意味について(否定的であれ、肯定的であれ)断定的なことを言えるよりも、戦争を非現実化する上では有効ではないのだろうか。

私の父は戦争経験について一度も語らなかった。
死んだあと残されたノートに、父の中国人の友人がほとんど全員そのあと同胞によって殺されたことについて、「私との友誼が彼らを殺した」と淡々と書き残していた。

私の岳父は(七年大陸で転戦したが)、戦争については「階級の上のものから先に死にます。終戦のとき私の上官は全員死んでいました。私は要領のよい兵隊だったので、生き残りました」と二度(いずれもずいぶん酔ったときに)話してくれただけだった。

彼らが戦争について何も語らなかったのは、「物語」として処理するにはあまりに非現実的な経験だったからではないかと思う。
そういう種類の沈黙にも、私は意味があると思う。
私の二人の「父たち」は、戦後の長い期間、戦争について語る代わりに、日中友好のための草の根的な運動と国政レベルの具体的な運動に汗を流す方を選んだ。
私は彼らがいつかは彼らの戦争経験の「ほんとうの意味」について私たちに語るのかと思って待っていた。
でも、結局、二人とも死ぬまでそれについては何も語らず、いくつかの断片的なエピソードを残しただけで、墓に入ってしまった。
私は彼らの「沈黙」に敬意を表したい。
戦争について何も語らない、というのは戦争を経験して、それをほんとうに苦しんだ人々の一つの「節度」のあり方ではないかと思う。