8月14日

2002-08-14 mercredi

新聞を見たら、ニコラス・ケイジとリサ・マリー・プレスリーが結婚という記事があった。
そういえばケイジくんの出世作『ワイルド・アット・ハート』はプレスリーに憑依されたあんちゃんの話だった。
なるほど、ご縁があったのだ。
しかし、このお二人はハリウッド的「セレブ」の代表格のような方々である。
ケイジ君はご存知のとおりフランシス・フォード・コッポラの甥である。(本名はニコラス・キム・コッポラ)
ということはタリア・シャイアの甥であり、ソフィア・コッポラの従兄である。
元彼女はユマ・サーマン。
ということはゲイリー・オールドマンとイーサン・ホークとは「元彼クラブ」の会員同士。
元妻はパトリシア・アークエット。
ということはロザンナ・アークエットは元義姉。
一方のリサ・マリー・プレスリーは父はもちろん"キング"・エルヴィル、母はプリシラ・プレスリーというこれまた「ハリウッド的梨園」のお育ちであり、結婚は二回しているが、最初のお相手はかのマイケル・ジャクソンさまである。(マイケル・ジャクソンって、「エルヴィスの婿」だったんだよな)
こういう「ハリウッド・セレブたちのお付き合いの狭さ」というのは、ジョルジュ・バタイユとジャック・ラカンがシルビア・バタイユの「夫クラブ」の会員同士。レヴィ=ストロースとメルロー=ポンティとボーヴォワールがアグレガシオンの同期生。カール・ポッパーとコンラート・ローレンツが隣組。西郷隆盛と大久保利通と大山巌が同じ町内会といった「セレブたちのお付き合いの狭さ」にどこか通じるものがある。
そういう「狭い」ところに潜在的に才能ある人がひしめいていると、スタンドアローンでいる場合よりも、才能の開花が劇的に促進される、ということはやはりあるのだろうか。

引き続き、「ラカン/ヒッチコック」本の翻訳をさくさくと進める。
文章は明快、話題は大好きなヒッチコック映画だし、ペースは快調である。
問題はラカンの「ら」の字も出てこない、ということだけである。
あるいは「マクガフィン」は「それが意味するものの取り消しを宿命づけられたシニフィアン」である、という「オチ」で収めてしまうのかも知れない。(それで「ラカン本」を名乗るのはいかがかという気がしないでもないが。まあ、私が書いた本じゃないんだから)
私の担当は論文六本であるが、すでに二本(サスペンス論と『バルカン超特急』論)が終わって、いま三本目(『汚名』論)。これも今日のうちに終わるだろうから、来週東京に出る前に全部片づきそうである。
そして残る八月九月は一気にレヴィナス『困難な自由』を訳し倒す。その勢いを借りて、講談社の書き下ろしを書き上げて(上げたり下げたり忙しい)、『おじさん・パート2』の校正を仕上げて、さらに『フェミニズムについて私が知っている二三の事柄』(仮題)も書き上げてしまうのである。
計画通りにゆけば、年内にあと五冊本(うち翻訳二冊)が出る。既刊の『おじさん』と『寝ながら』と『メル友交換日記』を入れると8冊。
これが実現すれば、2002年は私にとっての「生涯最多出版年」として記憶されることであろう。
世間さまは「お盆」とか盛夏休業とかで静まっているようであるが、私は朝から晩まで、だれとも口もきかずにお仕事である。