早起きしてばりばりと翻訳。
パスカル・ボニツェル君は読んでみたら、「賢い人」だった。
ソ連の実験工房とか、マック・セネットのスラップスティックとか、テックス・エイヴァリーのアニメとか、いかにも『カイエ』派好みの固有名詞が出てくるのが困るけど、今ではIMDBのおかげでクリック一つで、そういう固有名詞についてもすぐ調べがつく。
科学の進歩はほんとうにありがたい。
とりあえず4頁ほど訳して、大学でお仕事。
津田塾とICUを「視察」してきた東松事務長からいろいろと有意義な情報を聞き込む。
『船弁慶』の独吟があるので、車の中で大音量で「そのとき義経少しも騒がず」と絶叫する。だんだん頭蓋骨の共振がよくなってきて、倍音に近い音がときどき出るようになった。
最近、斎藤孝さんという人が「日本語を声に出して読もう」という運動を提唱されているが、それなら、いちばんのオススメは謡を習うことである。
「歌舞伎の声色をつかう」というのも酒席のだしものとしては愉しそうだが、教養ある人士が素面で人前でやることではあるまい。
「詩吟をうなる」というのも悪くはないが、内容のイデオロギー性にひっかかりを覚える人もあるやもしれぬ。
となると、大声を出して日本語の名文句を読み上げるとなると、謡がいちばん、ということになる。
私もいまここに来る車中、大声でお稽古していた。
「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤平知盛幽霊なり。あらいかに義経、思いも寄らぬ浦波の。声をしるべに出船の、知盛が沈みしその有様にまた義経をも海に沈めんと夕波に浮かめる長刀取り直し巴波の紋辺りを払い。潮を蹴立てて悪風を吹きかけ眼も眩み心も乱れて前後を忘ずるばかりなり」
というような詞章を謡い上げ、最後の方はだんだんテンポがアップしてきて、グルーヴィーなラップ状態となり「また引く潮に揺られ流れて、あと白波とぞなりにける」で、ぴっと終わるのである。
この謡の快感というものは、カラオケで同じメロディで一番から三番まで繰り返し歌うというときの快感とはまったく異質のものであろうかと思われる。
なにしろ、謡っているあいだに、どんどんメロディもテンポも声色も人間も世界観も変わるのである。
幽霊となって登場して、長刀を振り回す大立ち回りを義経相手に演じて、ついで弁慶となって悪霊を祓い、最後に亡霊たちが波間に没するところで終わるさまをナレーターとして叙述するといういそがしさである。
ウチダは何であれ、「モード変換」というものを頻繁に行うことがたいへんに好きであり、それが人間にとってたいへん重要なことであると信じている。
その点において、漱石の時代に知識人の基礎的教養であった謡曲というものを嗜む男性がいなくなったことを悲しむのである。
帰ってからまた8時まで翻訳。
このペースなら一週間くらいで私の担当箇所は終わりそうである。
それが終わると半年ぶりにレヴィナス先生の翻訳にかかることができる。
晶文社の安藤さんから『おじさん的思考』パート2のデジタル原稿を送稿しますという連絡が入る。
そろそろ本の題名を決めないといけない。
『説教値千金-Ojisan-esque thinking Episode 2』というのを発作的に思いついた。
毎日一つずつ仮題を考えて、そこから選ぶことにしよう。
というところで鈴木晶先生の日記を見たら、私の日記が引用してあって「スロット」と「スレッド」の書き間違いをご訂正してくれていた。(ご叱正ありがとうございます)
実は私も昨日日記を書いているときに、はじめはちゃんと「スレッド」と書いたのである。(これはほんとうである。私がいつも嘘をついていると思っている人間はアクマに食われるであろう)
ところが、根が詮索好きなせいで、つい「スレッド」とは何のことであろうと英和辞典を引いてしまったのである。
そこには sled「小型のそり、綿摘み機械」という訳語がある。
うーむ、これでは何のことだかわからん。
じゃ thread かな。「縫い糸、筋道」。
うーむ、それらしい気もするが。
似たような発音をする英語をあれこれ探しているうちに、覚え間違いではないかという気がしてきた。
「あれ、スロットだっけ?」
と slot を引いたら、「細長い穴、溝」とある。(スロットマシンのスロットね)
その瞬間、私の脳裏には「王様の耳は驢馬の耳!」と「2ちゃんねる」上の「細長い溝」に向けて叫んでいる匿名野郎たちのイメージが鮮明に浮かび上がったのである。
おお、だから「スロット」なのか。なるほどなるほど。
というわけで、フロイト先生が教えられたように、あらゆる失錯行為には、それなりの「前史」というものがある、ということがこの一事をもって知れるのである。
(で、ほんとうは「スレッド」って何なの? 誰か綴りを教えて下さい)
(2002-08-08 00:00)