7月23日

2002-07-23 mardi

スーツを着て「出勤」するのも今日が最後の夏休み。
ひさしぶりにカルヴァン・クラインの黒のスーツを着用。
半年ぶりくらいに着られた。
実は、デブになって腹回りがきつくてズボンが入らなかったのであるが、この数日、病み衰えていたら、ウエストが何センチが縮んだらしく、ズボンがするりと入った。
しかし暑い。
何もこんな暑い日に黒のスーツにネクタイで出勤することもないのであるが、私は原則として教壇に立つときはスーツにネクタイ着用と決めている。
大学の教師はサラリーマンに比べるとドレスコードは非常にゆるい。ポロシャツにジーンズ、開襟シャツに綿パンというようなカジュアルな格好でキャンパスを闊歩している先生方も少なくない。
もちろんこういうのはその人の好きずきである。みなさん、お好きになさればよいと思う。
人民服に毛沢東バッジとか、ルパシカにレーニン帽とか、ソンブレロにローハイドとか、そういう格好で大学の教壇に立つ教師がいたら、ウチダは素直に脱帽する。
しかし、そこまで勇猛な同僚はおられない。
なんとなく、「この方が、楽だから」と、そのへんにあったものをじゃらっと適当に着てきたという感じがするのである。
よれたシャツにチョークのついたズボンに、申し訳のようなへろへろネクタイの教師を見ると、ウチダは「ジャージーを着て授業をする中学教師」を連想して、少し悲しくなるのである。
服装は「気合い」が肝腎だ。
人民服やルパシカをまとう人への畏怖の念は、その格好で衆人環視の中、阪急神戸線を乗り継いで大学まで来た、その「わし、これ好きやねんけど、何か問題でも?」的徹底性にある種の威厳が備わっているからである。
というわけで、それほどの蛮勇に恵まれぬウチダはあえて「定型」を貫徹すべく、「戦闘服」と称して、イタリアンスーツを着て、きりきりとネクタイを締め上げ、靴を磨き立てて出勤するのである。
めちゃ暑い。
「我慢」というのは、刺青の別名であるが、真夏のネクタイもまたそのような意味では「男の紋章」なのだと思いたい。

夕方から自己評価委員会。
教員にずいぶん欠席者が多い。
自己評価活動に対する意気込みが萎んでいるのだろうか。
ウチダのこめかみに青筋がぴしぴしと走る。
教員の教育研究活動考課システムについての委員長私案を説明。
要するに100点満点の「教員ランキング」をつけるということである。
その点数を予算配分、身分、給与に反映させる。
民間企業ではどこでもやっている単純な勤務考課である。
大学の教師も「給料分の仕事をしているかどうか」査定される時代になったということである。
せちがらい話であるが、仕方がない。
放っておいても、いずれ第三者機関が乗り込んできて教員を査定するようになるのは時間の問題なのだから、それより早くに、自己の能力をみずから査定できるだけの自己点検能力があることを内外に示しておくほうが大学の生き延びるチャンスは高くなる、と私は思う。

ウチダは長い会議が嫌いなので1時間半で終了。
びびっと家に帰り、スーツを脱ぐ。
これで秋まで仕事でスーツを着ることはない。(金曜日に「エルプリュスの夜会」があるが、たぶんそれが10月までの最後のスーツだ)
半ズボンとTシャツとゴム草履の二ヶ月間が始まる。
さ、仕事だ。