昨日はけっきょく家から一歩も外へ出ず、一日原稿を書いて過ごした。
夜になると微熱が出てきて、寒気がする。
夕食を作ったが、サラダくらいしか食べる気がしない。
サラダをもそもそ食べて、ワインを呑む。
ワインは体調が悪いと不味い。
しばらくころがって映画を見ていたが、どんどんだるくなるので、のそのそと寝室に這っていって寝る。
あー、具合が悪い。
一人で暮らしていると「病気のときに心細くて困る」ということを言う人がいる。
私はそう思わない。
病気のとき、機嫌の悪いとき、憂鬱なときこそ、一人でいてほんとうによかったと思う。
このダルでダメな状態にいる自分を誰かに見て貰いたくないし、暗い気分を誰かに伝染させたくもない。
かつて結婚していたころの私の妻たる人は「病気になるのは生き方が間違っているから」という実にきぱりとした正論をお持ちの方であった。
それゆえ、私が病気になると、それがどのような人格的欠陥に由来するものであるかを容赦なく、徹底的に指弾してくれた。
もちろん「看病」などということはなされるはずもない。
なにしろ、病気はおのれの生き方の間違いに気づき、「二度と病気にはならないぞ」という反省をするための機会なのであるからして、徹底的に不快な経験として記憶されねばならぬのである。
おお、なんという教化的なご配慮であろうか。
妻の献身的な教化の功あってか、現に私は「病気になると、病気になって具合が悪い上に、妻に死ぬほど説教されて、いっそう具合が悪化するという二重苦が待っているから、死んでも健康だけは維持せねば」と懸命の努力で体調を保ったのであった。
そのような鬼軍曹的看護者を失ったあと、12年間は私は主夫をしていたので、娘の世話をするために一日たりと家事を休むわけにゆかなかったので、これまためったなことでは病気になることができなかった。
そして、ようやく娘が去り、私一人になって、思う存分病気になれる身分となったのである。
だから私はこの一年間、ほとんど毎月のように風邪をひき、熱を出し、歯茎を腫らし、膝を痛め、腹を下し、二日酔いで苦しみ・・・長年「がまんしてきた」病気のストックを一気に吐き出している。
今の私には、どれほど病に苦しんでいても、それで怒る人も、それで悲しむ人も、それで傷つく人もいない。
だから、私は心おきなく病気になれる。
思う存分病気になれることの幸福を今私は噛みしめているのである。
うう、具合が悪いぜ。
(2002-07-21 01:00)