6月30日

2002-06-30 dimanche

ほんとうに、ほんとうにひさしぶりの「休日」。
死んだように眠り続ける。
2時から8時まで寝て、いちど起きて、朝御飯を食べて、そのままベッドにもどり、また爆睡。目が醒めたら正午をだいぶ回っていた。
ひさしぶりに家のお掃除をする。家の中がきれいになると単純にうれしい。
ラーメンを食べてからまた昼寝。
6時になって起き出して大丸へお中元の発送とお買い物。

お中元お歳暮を出す相手が年々減ってくる。
ついに今回は二人。
おひとりはもちろん多田先生。もうおひとりは神戸女学院大学への就職を斡旋してくださった(ウチダが永久に足を向けて寝られない)関東学院の山口俊章先生。(能の下川宜長先生には社中合同でお中元を差し上げる)
私が「先生」と敬して長者の礼をとる相手が、年々減ってくるというのは、なんだか困ったことである。
これって、私が年々生意気な野郎になって来て、ますます人を人とも思わなくなったということの徴候ではないかと「承りカウンター」でしばし沈吟する。
もちろん個人的に「先生」と敬慕している方はほかにもたくさんいるのであるが、私からお中元を受け取って「あ、ウチダくん、どうも。どう、がんばっとるかね、その後」というような感じで応接してくれる長者というのはなかなか探すといないものなのである。

ひさしぶりに「街場」に出たのをさいわい、夏のスーツを購入。
例年ボーナスが出るとスーツを一着買うのだけれど、今年は「むははの印税生活」の余得で Giorgio Armani をゲット。
試着室の鏡を見ると、「まるで村上龍」である。
「おお、まるで村上龍みたいだ」
と私が喜悦の声をあげると、店員さんが「えー、そうですかー。そんなことないですよ」と暗い顔をする。
どうやらジオルジオ・アルマーニでは「村上龍」は禁句らしい。
でも、そんな態度ってないだろと思う。
村上龍のおかげで、どれくらいアルマーニの需要がふえたことか。もっと感謝しなさい。

ところで、これほど私がへろへろになったのはもちろん二日にわたって甲野先生と行動を共にしたからである。
あれほどパワーと観察力のあるひとといっしょにいると、「なんとか、ちゃんとした人間に思われたい」と力が入るので、ウチダでさえ緊張してしまうのである。
昨日の夜は名越康文先生のクリニックに乱入して、飯田先生、うっきー、冬弓舎の内浦さんはじめ十数名の宴会でのバトルトークである。
バトルというのは違う。
甲野先生、名越先生とも、人の話に反論したり、遮ったりということを絶対にしない。にこにこ応対しながら、前の話者の話題を引き取って「さらに見晴らしのよい」ところにすっと話をすすめてゆく。
どんどん話は破天荒な方向に逸脱してゆく。

今回のメインの話題は「鎮魂」について。
名越先生が先月沖縄の「ひめゆりの塔」で遭遇した壮絶霊体験の話。アフガン進攻のとき、甲野先生が国東半島の宇佐八幡で見た、そこに蝟集して(アメリカ滅亡orアフガン滅亡を祈祷する)全国の「裏神道」行者たちの話。精神科に来院する思春期の患者が負う母親の圧倒的に邪悪なエネルギーの話。

昨日いちばん受けたのは「狂いすぎている人間は発症しないんです」という名越先生の至言。
その場にいる全員がしばらく絶句。
そして、「ははは、そういうことって、ありますよね、ははは」と快活に笑っている私を人々は遠い目をしてみつめていたのでありました。

果たして甲野・名越・ウチダ鼎談本、21世紀の奇書、冬弓舎刊『実用マニュアル・〈邪悪なもの〉の鎮め方』(仮題)(って、ウチダが勝手に仮題を考えてよいものだろうか)は日の目を見るか。
刮目して待つ可し。
出たら必読。これはほんとに「実用本」だよ。