6月21日

2002-06-21 vendredi

『寝ながら学べる構造主義』が出た。
私がこれまでに出した「いちばん廉価な本」である。(690円+tax)(ちなみにウチダ関連本でいちばんの高額物件はベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』。お値段4326円。高いなー。それだけの価値のある本ではありますけれど)
今回の本は廉価なので、みんな気楽に買ってくれる。
どんどん買って「署名」を求めてくるので、ネコマンガを描き続ける。
読んでくださった方からさっそく感想メールが届く。(中根さん、江さん、松田さん、どうもはやばやとメールをありがとうございました。)
いまのところ、なかなか好評である。
「寝ながら学べる」というタイトルに偽りはない。(何人かはそのまま熟睡したらしい)
夕べもソファーに寝ころんでウイスキーを飲みながら読み出したらとまらなくなって午前2時まで読みふけってしまった。
内容を熟知している書いた本人でさえ読み出すと面白くって止まらないくらいなのだから、はじめて読む人にとってはどれほど面白いであろう。(それほど面白くない場合には熟睡できるし)
あらゆる意味で間然するところのない書物であるといって過言でないといって大きくは当を失すまい。
いいから買って。
おねがひ。

合気道の稽古をしていたら、どうも膝が痛い。
よく見ると膝にぎちぎちに巻き付けてあるサポーターが膝をしめつけて痛いのである。
膝の関節の痛みよりも、サポーターの痛みの方が強く感じられるということは、膝の関節がもうあまり痛くないということである。
1年前に外科医から半月板損傷、ナントカ膿腫で「運動厳禁・再起不能」を宣告されたのであるが、「まあ、人生、そういうものだよ」と思ってあまり気にせず、ふつうに稽古をして、ふつうに暮らしていたら治ってしまった。
さすがに「トカゲの再生力」をほこるウチダの肉体である。

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の仏訳を読むというゼミをしている。
仏語訳と原文を照合して、フランス語話者が村上春樹の日本語をどんなふうにフランス語にするのか、その微妙な差異から、彼我の世界分節の違いを比較文化論的観点から検証しようではないか、というなかなかに野心的なゼミである。
パトリック・デ・ヴォスさんというひとがフランス語訳をしている。
なかなかみごとな訳である。
どうして「みごと」かというと、私がパトリックくんのフランス語だけを見て和訳をすると、ときどき村上春樹の原文と文ひとつまるまる一言一句違わないということが起こるからである。
これはなかなかたいしたものである。
しかし、ところどころに誤訳も散見される。
今日、すごい誤訳を見つけた。

"J'irai jusqu'a trente-cinq ans, dit-elle. Puis je mourrai."
Elle mourut en juillet 1978, a vingt-six ans.

このフランス語をそのまま訳すと

「『私は三十五歳まで生きる』と彼女は言った。『そして死ぬ』
一九七八年の七月、彼女は二十六歳で死んだ。」

このどこが誤訳なのか、と疑問の方もあろう。
村上さんの原文は

「『二十五まで生きるの』と彼女は言った。『そして死ぬの』
一九七八年七月、彼女は二十六で死んだ。」

翻訳のいちばんむずかしい山場を訳し終えた第一章の最後のフレーズだから、パトリックくんも一瞬気を抜いたのであろう。誤訳というのはこんなふうに、ふだんなら絶対間違えないようなところで起こったりする。
でも、「25歳で死ぬ」と予告しておいて26歳で死んだ娘と、「35歳で死ぬ」と予告して26歳で死んだ娘とでは、文学的な「たたずまい」がちょっと違うような気もするけどね。

何でもホームページには書いておくもので、「引き取り手のない原稿が発生しました」という業務連絡を昨日書いておいたら、さっそく二社から「よければ引き取ってよいです。委細面談」というオッファーが届いた。
こういうのを「青田買い」というのであろうか。
ありがたいことである。
しかし、それにつけても売れないのが映画の本である。
こうなったら調子に乗ってさらに業務連絡を続けよう。
えー、業務連絡です。
引き取り手のない映画の原稿がさらに二つあります。
ひとつは私の「おとぼけ映画批評」ひとつは松下正己くんの「映画の音楽」です。
私の方はホームページのエッセイを編集しなければいけませんが、松下くんのブツはもう完成稿ですから、すぐに本にできます。
マツシタくんの映画音楽論、おもろいですよー。
というわけで、優良物件二種類、ただいま超格安価格にてご奉仕中です。委細面談。早いもの勝ち。待ってまーす。

フランス・イデオロギー 羊をめぐる冒険(仏訳)