5月29日

2002-05-29 mercredi

ひさしぶりの、ほんとうにひさしぶりのオフである。
たまった雑務をこなすべく、バイクにうちのって、石井内科→薬局→芦屋駅→竹園ホテル→芦屋市役所→芦屋青少年センター→灘区役所を3時間かけて回る。
ふう、つかれた。
でも、こういう短距離のところを次々移動するときは、バイクはほんとうに便利である。
いま乗っているのは、ヤマハの黒の TW200。(「ティーダブ」というやつね)
25歳のとき乗り始めたので、合気道と同じ期間バイクに乗っていることになる。
私の年齢で、27年間「ずっとバイクに乗っている」男というのは、さすがにレアである。
70年代末から80年代にかけて、バイクが大流行して、30代のサラリーマンたちがバイクで都心のオフィスに出勤する姿が「トレンディ」とされたことがあった。その流行もやがて廃れ、おじさんたちは40の声を聞く前にバイクを棄てた。
しかし、ウチダは「一度始めたことはなかなかやめない」しつこい性格なので、そのあとも5年ごとに新車に買い換え続けてきたのである。

ちなみに25歳以降のウチダの車歴(というコトバがあるのだよ)はRD50(アーバンの社用車)、DT125(平川くんからの借り物)、GX250(最初のマイバイク)、GL400(チョッパー)、XT250、GB250クラブマン、そして、現在のTW200である。

背の高いオフロードバイク(これは「足の長い人間しか乗れない」という点が排他的でウチダ好み)とどこどこ街を走るバイクが好きで、それをだいたい交互に乗っているのが分かる。
「カーン」という金属音を立ててかっとばすレーサーレプリカ系のバイクには子どものころからぜんぜん興味がない。
ウチダのバイク技術は、スキーの場合と同じく、「技術の限界を試みない」「向上心を持たない」ということを原則としている。
私も若い頃は、技術的向上心をもったこともあったし、運を試そうと思ったこともあった。激しい転倒も何度も経験した。さいわいたいした怪我もなくバイクライフを過ごしてきたが、これはどう考えても「運」のおかげである。
あのとき、あと50センチ横にずれていたら・・・ということが何度かある。
第三京浜で転倒したときは、これは死んだかと思ったが、ヘルメットの10センチ手前でトラックが停車してくれた。
そのときに私は深く悟ったのである。

「神を試みてはならない」

以後、私は制限速度で街を走る温厚なライダーとなった。
原チャリにも、ときには自転車にも追い抜かされてしまうが、そんなのどうでもよろしいのである。
風を感じ、四季の移ろいを感じ、横断歩道を小走りに駆け抜ける幼稚園児に目を細め、背骨に響く4ストエンジンの振動音を味わっているだけで、ウチダは幸福である。
でも、冬は寒いし、夏は暑いので、バイクには乗らない。
「サマー・ライダー」というペジョラティフな呼称があるが、ウチダはそれよりさらに期間限定的な「スプリング&オータム・ライダー」である。
ウチダが愛してやまないバイクにも、だがひとつだけ致命的な欠点がある。
信号待ちのあいだにシグマリオンで原稿が書けないことである。

朝日新聞の「e-メール時評」でトラブルが続く。
第四回目の原稿を送ったら、修正を求めてきたのである。
「ひねりが足りない、普遍化されていない」というご指摘である。
うーむ。
要するに「出来が悪い」ということである。
「出来が悪いのであれば、ボツにして下さい」ということを付記しておいたのであるが、「ボツにする」のではなく、「書き換えてくれ」というのである。
これは困る。
わずか600字の原稿である。
「ひとふでがき」のようなもので、くるくるっと書いて、一丁上がりである。
「この線とこの線のつながり具合が悪いので、ここをはしょって、ここをふくらませてくれませて下さい」というようなことを言われても、困る。
それくらいなら、もう一度はじめから別の「ひとふでがき」をくるくるっと書く方がずっと早いし、らくちんである。
私は書きたいことを書く。メディアは載せたいものを載せる。
「書きたいこと」と「載せたいこと」が一致すれば「めでたしめでたし」であるし、それが一致しなければ、「セ・ドマージュ」である。
四回書いた原稿のうち三回分について「修正を要する」とメディア側が判断して、書き直しを要求してきたということは、私の「書きたいこと」と朝日新聞の「載せたいこと」のあいだにあまり親和性がない、と考えるのが適切である。
四月から連載が始まったばかりで、気ぜわしいことではあるが、「成田離婚」ということばもあるし、まあ傷が深くならないうちに離縁した方がおたがいのためであろう、ということで、「ご縁がなかったようです、では、さようなら」というメールを送った。
するとすぐに翻意を促す電話がかかってきた。
しばらく話しあってみたが、率直に言わないと話が通じないことが分かったので、率直に申し上げた。

「いま掲載されている『e-メール時評』はどなたの書くものも、申し訳ないけれど、毒にも薬にもならない『誰でも言いそうなこと、誰でも納得しそうなこと』しか書かれてないでしょう?
600字という制約があるから、それは仕方がないと思いますけど。
でも、私はそういうのは書きたくないんです。
私は『ふつうの人があまり言わない、へんちきなことを言う』ということを売り物にして小商いをしてるんですから、『ふつうのこと』を書くと、商売上がったりなんです。
好きに書かせて下さるか、何も書かせないか、どちらかにして頂けませんか?」

600字単発のエッセイで、大半の読者が理解できて、腑に落ちることを書こうとするならば、「すでに読者が知っていること、すでに同意していること」を、言い方を変えて繰り返すしかない。
それは私にはすごく退屈な仕事である。
だから、依頼があった最初に、「『変なこと』を書きますが、いいですか?」ということを念押ししたのであるが、確答が得られないままにスタートしてしまったのがつまづきのもとであった。
だが、担当記者のO西さんも突然の降板宣言に困じ果てておられるようなので、話しているうちに申し訳なくなり、とりあえず、第四回の原稿の処遇は棚上げしてもらって、第五回の原稿を「ひとふでがき」して送ることにした。
それにも修正意見がつくようであれば、これはもう「ご縁がなかった」という他はないだろう。
それにしても私の書くものなんか、修正したって、それによってたいして「改善」されるような代物じゃないんだけどなあ。
ちなみに、第四回の原稿とは次のようなものであった。(どこを修正しても、「朝日新聞的基準」からして適切なものになる可能性のない原稿であり、「そのまま載せるかボツにするか」二つに一つであるように私には思われるのだが・・・)

『読むものがない』

定期刊行物を読む習慣を失って久しい。
中学生のころは『週刊朝日』と『文藝春秋』を読んでいた。高校生のときは『世界』と『朝日ジャーナル』を、大学生のときは『漫画アクション』と『少年マガジン』を、大学院生のころは『現代思想』と『メンズクラブ』を読んでいた。
そして、四十過ぎて読むものがなくなった。
私を読者に想定して発行されている雑誌が日本に一つもないからである。
別に私が精神的に成長したせいで、日本文化の水準を乗り越えてしまったわけではない。
『メンズクラブ』を買っている頃は「いずれ金が出来たら、こんな服を買おう」と思って胸をときめかせていた。しかし、服を買う金が出来た時には、もう私の年の男が着られる服は『メンクラ』には載っていなかった。
『現代思想』に書いてあることは「いずれ大人になったら分かるようになるだろう」と思っていた。しかし、大人になってもやっぱり分からなかった。
『サライ』とか『太陽』とか『BRUTUS』とかが私の年齢に相応の媒体なのだろうが、どこのシャトーのワインの何年ものが・・・というような話は私には理解の外であるし、ジャガーもポルシェも買う金がない。温泉グルメ旅行に伴う伴侶もいない。
しかたがないので、『朝日新聞』を読んでいる。
別に私を読者に想定している刊行物ではないが、誰宛のものでもないみたいなので、疎外感だけは感じずにすむ。

(これがオリジナル完全版。最後の二行だけ送稿するときに自主規制して削除した)