5月26日

2002-05-26 dimanche

第40回全日本合気道演武大会。
武道館に会場を移してから25回目。
私は1977年入門二年目で初出場して、以後皆勤であるので、武道館での演武大会のすべてに出場していることになる。
一度始めたことはなかなかやめないウチダのしつこい性格はこの一事からも窺えるのである。
多田宏先生には先週に続いてのご拝顔。同門の諸兄諸姉と久闊を叙す。(久闊というほど間があいてないけど)
ブザンソン合気道講習会のときにご縁ができたコッシーくんとユリさんが来ている。
ユリさんはすでに自由が丘道場に入門を果たして、めでたく私の妹弟子となった。
コッシーは「ユリの後輩になるのはやだ」とわがままをいって、まだ入門していない。早急に入門手続きをとるようにね。
神戸女学院合気道会はぞろぞろと20名が出場。ひさしぶりのゴンちゃんタカスさんも登場して俄然にぎやかになる。
しかし、今回は「現地集合現地解散自己決定自己責任」路線にいささかほころびが目立ったことがはなはだ気にかかる。
新幹線に乗り遅れるもの、演武者集合場所に演武3分前に走り込むもの、集合時刻に到着しないもの、師範の見送りに遅れるものなど、「武道修業者にあるまじき」緊張感の欠如が目に付いた。
「自己決定自己責任」というのは何をしてもよい、ウチダは知らぬということではない。
もう大人なんだからちゃんとやれるよね、という「信頼」のメッセージなのである。
ちゃんとやれないなら、これからは「こども」扱いしちゃうぞ。

七徳堂の演武の観客の中に、最前列で足を前に投げ出して、後ろに手をついて多田先生の演武をみている「眼に痛い」若い女性が三人並んでいた。
膝をくずのはよい。「三角座り」も認めよう。だが、ひとに自分の足の裏を見せて話を聞くという法があるものか。
多田先生のお話中であったので、こめかみをひくつかせながら怒りに耐えていたが、演武終了後、我慢しきれず、つかつかと歩み寄って、「君たち、人の話を聞くときに、足の裏を見せるというような礼儀は我が国にはないぞ。少しは恥というものを知りたまえ」と説教をかます。
三人とも何で怒られたのか分からずに、丸い目をしてきょとんとしていた。
エレガンスとかディセンシーというのは、もうこの種の皆さんにあっては死語なのであろうか。(泣)
それに比べれば、うちの合気道部員たちは、ちょっと行動がてれんこしているだけで、礼儀は正しいし、立ち居振る舞いはしとやかだし、性格は素直だし、人間の出来がずいぶん上等である。文句を言ってはバチがあたるな。
さきほどの説教は撤回だ。

話を戻すと、武道館の演武会では多田先生が神懸かり的な動きを見せて、万余の観衆がしんと静まり返る。
演武会終了後、例によって九段会館屋上ビアガーデンにて多田塾同門100名でビアパーティ。
ここでユリさんとゴンちゃんがあっというまに意気投合。
この二人の乗りの合い方に一同びっくり。
終宴後、内輪で二次会に・・・と思っていたら、気錬会の工藤俊亮くんから、「気錬会の者がぜひウチダ先生とごいっしょに歓談したいと言っておりますが」とお誘いを受ける。もちろん否も応もない。
すると早稲田の宮内くんが早稲田の諸君をつれてそこに合流。あっというまに32名の大集団となる。入るところがあるかしらと思って靖国通りをぷらぷら歩き、いかにも暇そうな焼き肉屋があったので、どどどと乱入。思いもかけない来客に、店にあるワイン、日本酒、焼酎が底をつき、とうとう他の客のキープボトルまで飲んでしまった。
私は気錬会の工藤くん、木野くん、井上くん、川阪くん、山本くん、早稲田の西尾くん、入江くんらに囲まれて、ただ一人の年長者であり、すっかり「先輩気取り」となり、たちまち説教を始める。(でも、私をつれてきちゃったのは君たちなんだからね、説教されるのは覚悟の上でしょ)

諸君! 諸君らは、実によく稽古されている。術技もおみごとである。多田塾の未来はひとえに諸君の双肩にかかっている。
しかし、足腰立たなくなった老書生の妄言に寸時耳を傾けるもあながち徒爾ではあるまい。
諸君にあえて問いたい。
師に就いて学ぶとはいかなる営みであるか。
真の弟子とは、師匠が『した』ことをではなく、『しようとしたこと』をしようとするものである。師匠を見るのではなく、師匠が見ているものを見ようとするものである。
このことは賢明なる諸兄にはすでにご案内の通りであろう。
だが「師が見ようとしたものを見る」とはいかなることであろう。
かつて仏国の巴里にバド・パウエルと称する落魄せる老ピアニストがあった。
パウエル翁は楽想は天才的に豊かではあったが、惜しいかな長年の薬漬けで老境に至って指が動かない。
ために晩年の録音はかなり無惨なものであった。
しかし、バド・パウエルの音楽を真に愛する人が聴くと、この無惨なる演奏を通じてパウエル翁が『弾こうと思ったが弾けなかったフレーズ、頭に浮かんだのだが、指がそれに反応しなかったフレーズ』が聴こえる、ということが起こるのである。
佳話である。
しかるに、これと同じことが武道の道統の継承においてもあるのではないかとウチダは愚考するのである。
残念なことであるが、私たちが多田先生に術技において届くということはありえない。
では、多田先生の超絶技巧と、その哲学的洞見は受け継ぐものを見出さぬまま、いつか先生とともに消え去ってしまうのであろうか。
私はそうは思わない。
そうであっては、弟子である甲斐があるまい。
私たちがおのれの鈍根を顧みず、なお多田先生の道統を嗣ぐものたらんとする無謀な野心を持つことが許されるのは、私たちがいま術技として示し得るものではなく、その術技を通して「実現しようとしたもの」、いわば私たちの頭の中に鳴り響いている幻想の音楽を聴き取ることのできる弟子に出会う幸運なる可能性はつねに存在するからである。
おそらく多田先生の体の中には多田先生が実現しようとはげしく望まれた大先生の中の『幻想の音楽』が鳴り響いている。そして、その大先生の中の『音楽』は、大先生がさらにその師たちのうちにその響きを聞き取ったものなのである。
道統の継承とは、この「かたちなきもの」を聞き取ろうとする欲望のことである。
多田先生の術技と思想をそのままのかたちで継承することは私たちにとって絶望的に困難である。
だが、多田先生の術技と識見を「欲望する」私たちの欲望はただしく継承することができる。
それが果たされる限り、多田先生から数代のちの弟子のうちに、私たちがもうその顔をみることもできない22世紀の多田塾門人の一人のうちに、多田先生の術技と識見を「受け継ぐ」ものが出現する可能性は担保されるのである。
弟子とは師の欲望を架橋するものの名なのである。

長説教を終えてかたわらを振り返ると、工藤君の「涙眼」が目に入った。
そーかそーか、分かってくれたか。
多田塾の未来は君たちに託そう。(単に私の説教が長すぎて、あくびをしたあと目がうるんでいただけかもしれないけれど)

長説教で体力を使い果たし、徒歩3分の学士会館にたどりつき、お風呂にはいると、そのままばったり。お風呂上がりにいっしょにビールをのみましょうと約束していたので、飯田先生とウッキーが私の部屋のドアをがんがんノックしたが、私はぴくりともせずに寝入っていた。(そうである)
午前7時半まで9時間近く爆睡。
というわけで気錬会の五月祭演武会で始めて「二日酔い」でない状態で演武をすることができたのである。
演武会後、北澤さんとイタリアからお越しのたいへん感じのよいお弟子様(名前が読めない)とごいっしょに、多田先生に「上天ざる」をおごっていただく。
多田先生には、20年ほど昔、市島先生とのお話合いのときに自由が丘道場の会計担当者としてお供して、やはり蕎麦やで差し向かいでざるそばをごちそうになったことがあった。
そのときまでは先生と二人でお話ししたことなどほとんどなかったので、かちかちに緊張して、おそばの味がぜんぜんしなかった。
そのときに比べると、ウチダもだいぶ劫を経たので、つるつる美味しく「上天ざる」(しつこく強調)を頂くことが出来た。つるつる。