多田先生の講習会で「気合い」の練習をして、のどを潰してしまった。
よせばいいのに、「いちばんでかい声を出すぞオレは」とがんばってしまったのである。
多田塾合宿では、八顕会の野本さんと、川崎市役所の広瀬さんにはいつも声で負けているので、広島では「おっし、ここにはライバルはいない」と声の限りに「ヴェーイ!」とやって、毎回、「ミッチャン」で広島焼きを食べるころにはハスキーヴォイスになっている。
今日は、いろいろなところにけっこうめんどうな用事で電話をしなければならなかったのであるが、「もひもひ、はたひは、ほうへひょはくいんはいはくの、うひらともうひまふが・・・」というような聴き取り不能の声を発さなければならず、中日新聞社に電話をするつもりで104に電話番号をきいたら、中日劇場に回されてしまった。
中日新聞社に電話をしたのも、理解不能の問い合わせで、「先日、中日新聞社のどなたからか原稿依頼を受けたのですが、どなたに原稿を送ればよいのかをご教示頂いたファックスをどこかにしまいこんでしまって・・・あのー、私は誰に原稿をお送りすればよいのでしょう?」というバカな質問を代表番号にかけたのである。
さいわい中日新聞社の交換の方はたいへんフレンドリーで、「どういう原稿ですか?」と訊いてくれたので、「有事法制についての原稿です」と答えたら(実際には「ゆーひほーへーにふいてのへんほーれす」と言うように聞こえたはずである。二回聞き直されたから)社会部に回して貰い、社会部の記者の方が、それはきっと文化部でしょうということで文化部に回して貰い、文化部の記者の方がきっとそれは***君の依頼でしょう、私が承っておきますとメールを受け取ってくれた。
「もし、その***さんが『そんな原稿頼んでねーよ』ということでしたら、そのままごみ箱に棄てて下さい。頼んだ方から『原稿、まだですか!』というお怒りの電話が来たら、それで誰が頼んだか分かりますから」という不得要領な返事をしてしまった。
「期間限定物書き」であるから、こういうだらけた態度をとることができる。まことにありがたいことである。
しかし、それにしても、私はこれまで実に多くの編集者を失望させてきた。
『現代思想』や『ユリイカ』に執筆するのは院生や助手のころはけっこうなステータスであったので、最初に依頼があったときは大喜びしたのであるが、私の原稿はそのような媒体にはふさわしからぬ「白っぽい」ものであったせいか、いずれも二度と依頼が来なかった。(漢字が少なくて、改行が多いのだ、私の文章は)
おととい、朝日新聞の「e-メール時評」の原稿も送ったけれど、原稿受領のご返事がない。
そうだろうなあ。
「読むものがない」という題のエッセイで、「しかたがないので、朝日新聞を読んでいる」というのが原稿の最後の一行なんだから。
受け取ったO西さんは、これをデスクに見せたものかどうか煩悶されているのではないだろうか。
私がデスクだったら、烈火のごとく怒って「ウチダには二度と朝日の敷居をまたがせるな!」と担当記者の襟首をつかむところである。
でも、朝、新聞を開いて自分の写真と見つめ合う、というのはあまり爽快な気分のものではない。(やってみると分かるけど、朝御飯がまずくなる)
人間、「おのれの分限を知る」というのはとてもたいせつなことである。
自分で責任をとれる範囲というのは、それほど広くない。
私は自分で責任のとれる範囲で生きてゆきたい。しかるに、どう考えても、私の持説に同意してくださる人が、全日本に2000人以上いるとは思えない。
あとのほとんどの人は、私の書いたものを読んで「むかっ」とするわけであるから、やはり単著でご機嫌を窺うのが、筋というものだろう。(単著なら、「うっかりウチダの本を買って読んで、腹が立った」という経験をする確率は、「うっかり新聞を開いてウチダの書いたものを読んで、腹が立った」場合に比すべくもない。)
私は他人を怒らせることについては「天才」と言ってよい人間である。
他には、何一つ「天才」を称することのできる分野はないが、これだけは自信がある。
だからこそ、あまりあちこちに顔を出さない方が世のためだし、私自身の身のためでもある。
私の書いたことに文句があるやつは家に来い、と言い切ったのは吉本隆明だが、この等身大の倫理に私は深い敬意を抱くものである。
とはいえ、私もいろいろ忙しいので、私の書いたことに文句がある人はあらかじめアポイントをとって頂きたいと思う。(その際は、身長体重と、武道経験の有無、および「度胸千両」系のご職業の方かどうかについても、お知らせ頂ければ幸いです)
(2002-05-20 00:00)