平川くんの講演会。
平川くんに女学院に来て貰うのは三回目である。
最初は93年か94年頃。
インターネットは世界をどういうふうに変えるか、というような今から考えるとけっこう牧歌的なテーマだった。(まだ「インターネットって何?」というような人がけっこういたんだよね)
二度目は99年の武道シンポジウム。
このときは松濤館空手の指導者という立場から、空手の身体技法についてお話ししてもらった。
今回は、またまるで違う主題で、日本のITビジネスと、インキュベーション・ビジネスとオープンソース・ムーヴメントの「仕掛人」という先端的なビジネスマンの立場から、大学教育のあり方をビジネスの視座から批評してもらった。
第一回のときとくらべると、平川くん自身の日本のビジネスシーンにおけるポジションはずいぶん変わってしまった(ご本人のスタンスはぜんぜん変わってないんだけど)。
いちばんはっきり感じたのは、シリコンバレーと秋葉原でのビジネスカフェの成功によって、「なーんだ、ぼくのスタンスはワールドワイドなビジネスシーンのどこでも通じるんじゃん、やっぱ」ということが分かってしまった平川くん自身の「だっからさー、話は簡単なんだってば」的な態度のいっそうの徹底ぶりであった。
これはうちの「兄ちゃん」にも通じるのであるが、ビジネスの先端にいるひとの言うことは、めちゃめちゃ「平明」なのである。
兄ちゃんによれば、「ビジネスの基本」は「正直」である。
平川くんに言わせれば「ビジネスの基本」は「コミュニケーション」である。
身近にいる二人の国際的ビジネスマンに共通するのは、どんな種類のものであれ、ビジネスが人間の欲望に関連するものであるかぎり、ひとの欲望をコントロールするポジションを担保する決定的なファクターは、彼ら自身は欲望を持たないこと、彼ら自身が他者の欲望の対象となることである。
彼らは自身の欲望にほとんど配慮しない。
彼らが興味をもつのは、他者の欲望だけである。
「きみは何が欲しいの?」
それが彼らのたったひとつの関心事である。
「欲しいものがあるなら、あげるよ」
そうはいっても、もちろん、彼らだって「他者が欲するモノ」をまるごとモノとして供給することはできない。
彼らがはただ「私は贈り物をする、君たちは贈り物を受け取る」という非対称の構図をきっちりキープしているだけである。
私たちはモノを所有し、それを占有し、それを誇示し、それを差別化の指標にしたがるような人間には、嫉妬や憎悪は感じるけれど、欲望は感じない。
私たちが制御できない灼けつくような欲望を感じるのは「私たちに贈り物をし、自分は何も受け取らない人間」に対してだけである。
だって、そんなことができるというのは、私たちには想像もできないほど「いいもの」、「誰とも分有しえないもの」を彼らが特権的・独占的に所有しているという以外にありえない(ように思える)からだ。
「工夫すれば奪い取ることができるもの」に対する欲望と、「どのような手だてを尽くしても奪い取ることができないもの」に対する欲望の熱価の差は比較にならない。
「どのような手だてを尽くしても奪い取ることができないもの」を持っていると他者に信じ込ませること、それが他者の欲望の焦点となり、他者の欲望を統御するもっとも有効な方法である。
そして、「どのような手だてを尽くしても奪い取ることができないもの」を持っていると他者に信じ込ませる方法は、ひとつしかない。
それは「ぼくは何にも要らないよ。ぼくは贈り物をしたいだけなんだ」と断言することなのである。
ビジネスで成功する秘訣は、「ビジネスで成功することになんか何の価値もない、ぼくはただ君に贈り物をしたいだけなんだ」と思っている人間であるとクライアントに信じ込ませることである。
そして、当然のことながら、「ビジネスで成功することになんか何の価値もないと思っている人間である」と他者に思い込ませることにつねに成功する人間とは、「ビジネスで成功することになんか何の価値もないと心底思っている人間」なのである。
レヴィ=ストロースの人類学的知見とこれはみごとに符合する。
レヴィ=ストロースはこう言った。
「人間は自分が確実に手に入れたいと思うものは、まずそれを他人に贈与することによって手に入れる」
私たちは欲しい物を手に入れる最良の方法は、それを奪取し、占有することだと考える。
それは人間の欲望の本質についての根本的な誤解である。
欲しい物を手に入れる最も確実な方法は、それを贈与することなのである。
すぐれたビジネスマンはそのことを本能的に知っている。
(2002-05-10 00:00)