上野千鶴子・小倉千加子の『ザ・フェミニズム』を読む。
フェミニズムとマルクス主義はよく似ているというのは私の持論であるが、この本を読むと、70年代の末期マルクス主義者のものいいと似ているので、きっとフェミニズムももう終わりということの指標なのであろう。
70年中頃のマルクス主義末期の風景というのは、既成左翼が完全に体制の補完物として取り込まれてしまう一方で、「新左翼」が、一人一派的にまでどんどん理念的に先鋭化し細分化し、現体制をどれだけ激しいことばで「全否定」できるか、「価値」とされていることをどれだけ「冷嘲」できるかを競い合う、「ツバのはきっこ」というか「しかめっ面の競い合い」のようなことにみんなが熱中しだした、というものであった。
どこでどんなマルクス主義の思想や運動が破綻しても、どのマルクス主義者も「あんなものは似非マルクス主義だ」と歯牙にもかけず、ほかのマルクス主義者の歴史的失敗についてマルクス主義者の誰一人として「責任」をとろうとしなくなった時代である。
「イズム」の名において、他の「イスト」がなしたこと、発言したことについて、「イスト」たちが連帯責任を引き受けたり、その意図するところを代弁したりすることを自分の仕事だと思わなくなったとき、つまり当事者意識を失ったときに「イズム」は終わる。
マルクス主義はたしかにそういうふうに終わった。
そのまえに、軍国主義もそういうふうに終わった。
『ザ・フェミニズム』を読んで、フェミニズムもそういうふうに終わるのだなと思った。
この二人に共通するのは、フェミニズムの運動がどんどん退廃してゆくことに対する冷たいまなざしと、日本社会がどんどん悪くなって行くことに対する「有責感」の欠如である。
I don't care
という「デタッチメント」の感覚がお二人の話に伏流している。
例えばこんな具合だ。
上野-家父長制下で従順に育ってきた子どもたちの方が、家父長制にとっていちばん大きな脅威になるんです。見て下さい、若者たちのあの保守性と受動性を。-こんな話を続けていると、『希望はないのか? 希望は?』と言われてしまいますよ(笑)。フェミニズムが日本を滅ぼすのか。小倉-フェミニズムは滅ぼさへんの。フェミニストを嫌っていた男たちが可愛がっている女たちが日本を滅ぼすんです。滅んだらええやんか。
上野-その点ではみごとに身から出たサビというか、自業自得というか、自分たちが望んだ通りの滅び方ですね。(...) 三代かけて思った通りの子どもたちを育てて来たんですから、日本の戦後教育はみごと成功したんですよ。
小倉-まんまと成功して、国が滅びる
上野-その通りだと思う。
小倉-もう、国ごと沈没するだけです。しゃあないわね」
ね、君たちって日本社会のフルメンバーじゃないの?
この社会がけっして住みやすい場所でないことは私も同意するけれど、それはぜんぶ「フェミニストを嫌っていた男」たちと「男に可愛がられいる女」の責任であって、フェミニストは、日本が滅びていくのを(笑)ですませる、ということでいいのだろうか?
もしフェミニズム思想を宣布した罪で、お二人ともこの25年ほど網走刑務所に収監されていたというのなら、こういう発言をしてもしかたがない。
でも、お二人とも、長いあいだ大学の教員をしてきて、たくさん本を書いたり、メディアで発言し、その結果ずいぶん多くのひとびとのものの考え方や行動に影響を及ぼしてきたはずである。
「戦後教育」の現場の当事者としてずいぶんな数の「子どもを育てて来た」はずである。
その上で、悪いのはぜんぶ「父権制」の責任というわけにはゆかないんじゃないだろうか?
いや、むしろ、積極的に日本が悪くなる方向に関与してきたのではないだろうか。
現に、「国を滅ぼすような子どもたち」がざわざわと叢生することをじつにうれしそうにお二人とも語っているから。
なぜなら、子どもたちの幼児的なエゴイズムが抑制をうしなって暴走すると父権制が「空洞化」するからなのである。
小倉は「最近の若い女の子の新・専業主婦志向」とは「結託」できるという。その理由は、「新・専業主婦というのは自己利益を最優先する女たち」であって、その戦略から「結婚制度を逆手にとって」、亭主に働かせて、自分は家でごろごろしていて遊び呆けているのが秩序破戒的でよろしいというのである。
小倉-自己利益を最優先することによって、結婚制度を内部から崩壊させてしまえるから結託できるということ
でもさ、これって論理が倒錯してないか?
結婚制度を内部から崩壊させることの対価として、人間のクズを大量生産させることって、社会改良プログラムとして算盤勘定が合うの?
夫も子どもも親も地域共同体も、ぜんぶ自己利益を最優先するために、利用するようなエゴイスティックな若い女が輩出することによって、そんなに日本は住み易くなるの?
たしかに、そういうふうになったら結婚制度は内部から空洞化するだろうし、異性愛体制も、父権制も崩壊するかもしれないけれど、それ以前に「市民社会」が崩壊しないだろうか。
いまさら大学の先生に説教するのも変だけど、近代市民社会というのは、人間たちが「自然権」に基づいて自己利益を最優先する行動を「止めて」、幻想の共同体に決定権の多くを委譲したときに始まった。
なぜ、自己利益の追求を最優先するのを止めたかというと、「自己利益の追求を最優先すると、自己利益が安定的に確保できない」ということが分かったからである。みんなが自己利益を最優先すると、ホッブスのいう「万人の万人に対する戦争」状態になってしまう。誰しもが欲しいものを他人から奪い取っても詐取してもいいということになってしまう。
そうなると、ひとにぎりの強者がすべての社会的リソースを独占することになって、ほとんどのひとはおのれの身体生命財産の保全さえままならなくなる。だから「私利の追求を制限する」という発想が生まれたわけである。(ロックの『統治論』やホッブスの『リヴァイアサン』を読むと、そう書いてある)
たしかにフェミニストが言うように、近代社会はいろいろ問題があるし、父権制的かも知れない。
でも、「それでは」というので自己利益の確保を最優先したら、(ロックやルソーを信じるなら)、たぶんそのような若い女性こそ自己利益の確保という生存戦略においてもっとも不利をこうむるような「ワイルドで権力的な競争社会」というものがいずれ現出することにはならないのだろうか?
フェミニズムはどんな社会を理想としているのだろうか?
残念ながら、彼女たちはこの本質的な問いには答えてくれない。
上野-私は『フェミニズムは何をめざすのか?』と聞かれると、『なんでそんな問いに答える必要があるの?』と聞き返します。小倉-それは正しい。
どうして?
どうして「フェミニズムは何をめざすのか?」に答えないのが「正しい」の?
ウチダには分からない。
何をめざすのかを示さないし、問うことさえ許さない社会理論は、いったいどのようにしてその当否を検証されるのだろう?(日本が崩壊したあとに、「日本が崩壊する」ということを予言し、そのために協力を惜しまなかった社会理論は「正しかった」ということが事後的に明らかになるからいいのかな・・・)
上野はこう続ける。
『何が解放か』というのは、当事者が自己定義するしかないということ。これが解放だと人に押し付けられるのは、もはや解放ではない。(...) ですから『フェミニズムは何をめざすのか?』と問われるほど、反フェミニズム的な問いはありません。(...) 『何をめざすんですか』という抑圧的な問いの中には『フェミニズムの望ましい未来について青写真』という代替案の提示を求める姿勢がある。『代替案がなければ現状を変更することもできない臆病者なのかおまえは』と思っちゃう(笑)
もちろん私は反フェミニストだからこそそう問うわけだけれど、「それは反フェミニスト的な問いだから答えない」と回答を拒まれたのでは私の立つ瀬がない。
もし上野が私に向かって「ウチダはこういうことをホームページに書いて何をめざしているのか?」と問いかけたときに「それは反ウチダ的な問いだから答えない(笑)」と答えたら、上野だって「むかっ」とするだろう。
それはルール違反だぜ。
『望ましい未来についての青写真』は見せないとまずいと思う。
だってそうでしょ?
べつに、その青写真を見せてほしいのは、「自分にかわって未来社会について上野に考えて欲しい」からじゃない。
いったい上野たちはどんな未来社会を作ろうとしているのだろうか、その青写真を見せていただいて、変なところがあったら「変だよ」と言いたいと思っているわけである。
社会改造案を私に代わって考えて欲しいんじゃなくて、上野が「日本をどうしようとしているのか」を知りたいだけなのだ。
社会制度の改革について発言している以上、その「青写真」を示すアカウンタビリティというものは上野にもあると思うけど・・・
私の言っていることはそんなに変だろうか?
とにかく、さっきの「新・専業主婦」論と、上野の「援交支持論」は私にはいくら考えても、少しも魅力的な提言には思えない。
上野-援交を実際にやっていた女の子の話をきいたことがあるんですが、みごとな発言をしてました。男から金をとるのはなぜか。『金を払ってない間は、私はあなたのものではないよ』ということをはっきりさせるためだ、と。(...) つまり、あなたが私を自由にできるのは、金を払っているあいだだけのことで、それ以外は私はあなたの所有物ではない、ということをはっきり示すためだと言うんです。
なんで、「これは自由の切り売り」であって、「自由の全部売りではない」ということを意思表示するために、売春なんかわざわざする必要があるのだろうか?
買春するほうの男の中には、「私はあなたの所有物じゃないのよ!」というようなつっぱった女の子こそ「好み」というような奴だっているのではないだろうか? 「いくらでも金があって無限に少女の自由を買える買春男」がいたらどうするのだろう?
「私があなたの所有物ではないこと」を示すいちばん手早く確実な方法は売春しないことではないだろうか? 違う?
こういう上野の発言を聞いて「よっしゃ、明日から私も自由な人間であることをアカシ立てるために売春しよ!」というような女子高生が叢生してきたら、どうすんだろう。
若い連中をどんどん「バカ」で「エゴイスト」になるようにアオって、いったいこのお二人は何を得ようとしているのだろうか?
日本が滅びるのを早めたい、というのは分かったけど・・それだけなの? ほんとに・・・・?
まあ、こんな質問にも「反フェミニズム的で抑圧的な問いには答えない」という答えしか返ってこないだろうから、別にもういいや。
でも、彼女たちがこういう発言を通じて、何らかの知的・倫理的価値を創出しつつあると信じている人が日本にいまだにたくさんいるということの意味がウチダにはぜんぜん理解できない。
この不可思議な事態は、たしかに、上野たちが言うように、「日本人は心から日本社会の壊滅を望んでいる」という以外に説明のつけようがない。
あ、そうか。じゃ、やっぱり上野千鶴子のいうことは正しいんだ。
なるほど。
(2002-05-08 00:00)