4月8日

2002-04-08 lundi

大学の新学期最初の行事であるオリエンテーションにいきなり遅刻する。
遅刻したというか、忘れていたのである。忘れたというより、そもそも記憶に入力されていなかったのである。
物忘れには複数の水準がある。

(1)約束したことを忘れる
(2)約束したことをスケジュール表に転記し忘れる
(3)スケジュール表を見忘れる

私の場合は、口頭での約束は三歩あるくと忘れてしまうニワトリ頭なので、三歩以内に携帯のスケジュール表に転記するように心がけている。だが、そのスケジュール表そのものをチェックし忘れて一日の活動を始めてしまうと、「思い出す」ためのよすがはもうどこにも存在しないのである。
どうしてこうも物忘れが激しいかというと、もちろん老衰で頭がボケているからなのであるが、そればかりではない。
ずっと「いちずに思い詰めている」からなのである。
これはもうすごいよ。
朝から晩まで、車を運転しながらもトイレに入っているあいだもエレベーターに乗っているあいだも教授会のあいだも・・・つねに目の前の事態とぜんぜん関係ないことを「考えている」のである。

エマニュエル・カントはたいへんパンクチュアルなひとで、街の人々は散歩するカントが家の前を通ると、「あ、いまカントさんが通ったから、3時43分だ」などと言って、家の時計を合わせたといわれている。
これは別にカントが時間に正確で偉いとかそういう話ではなく、カントが壮絶な「物忘れ」の人であったということを伝える挿話であると私は理解している。
だって、そうでしょ。かりにもカントといえども人の子である。会食の約束もあるだろうし、訪ね人だってあるはずである。それが毎日同じ時刻に同じ場所を通過するということがあってよいだろうか。
ありえないね。
ということは、彼がすべての「約束」をレギュラーな仕方で処理していた、ということを意味しているからである。
つまり、カントは「仕事関係の面会は毎週水曜午前11時より午後2時までオフィスで」「会食は毎週火曜日午後6時より7時半まで、三丁目の『やぶそば』で」とか決めていたということである。
それ以外の約束は受け付けない。
そうしておけば、毎週決められた時間に、決められた場所に行きさえすれば、すべての約束は例外なく履行される。
こうやってカントは、生活スケジュールを管理するためには、一切「頭脳を使わない」という断固たる決意に基づいて生きていたのである。(と、思う)
お分かりかな。だからカントは「物忘れの激しい人」だったという結論がここから導かれるのである。
何、まだこの推論の理路が分からない?
困ったね。
カントがすべての日常活動を時間通りに実行したということは、イレギュラーなスケジュールが入ることを忌み嫌ったということだよね。
なぜか。
それは「イレギュラーなスケジュールを管理するために使用される大脳部位」が「哲学する部位」と「かぶる」からなのである。
深く哲学的に思惟すること、イレギュラーなスケジュールを暗記することは、脳の同じ部位を使うのである。だからこそ、カントはすべてのスケジュールをレギュラーにすることでこの難題を乗り切ったのである。
逆に言えば、イレギュラーなスケジュールを構造的に忘れる人間は、おおくの場合、深い哲学的思惟によって当該大脳部位が占領されているのである。
これを「カントの法則」としてここに定式化しておきたいと思う。

ご存知のように私は「研究室-道場-自宅」の三点間をくるくる動き回るだけの自動人形のようなスケジュールで動いており、基本的にあらゆる面会の約束は「講義と講義のあいまに研究室にいてキーボードを叩いている時間」にセットしてある。こうしておけば約束を忘れても約束を破らないですむからである。
だから、面会の約束をして時間通りに研究室のドアをノックした来客は、かならず私の意外そうな顔に出会うことになるのであるが、それは、私がその約束をころっと忘れていたからなのである。