4月7日

2002-04-07 dimanche

阪神タイガースが連夜の勝利で、プロ野球に何の興味もないウチダもついに日曜の午後はTVでスワローズ戦を最初からしまいまで見てしまった。
残念ながら連勝は7でストップしてしまったが、ひさしぶりに3時間余プロ野球中継を注視し、7回の阪神の攻撃になるとフーセンを飛ばして「六甲おろし」を歌うとか、新ストライクゾーンは打者の胸元までとか、新たなさまざまの習俗が私の知らないあいだに慣例化していたことを知れたのはよろこばしいことである。
なにしろ、私がプロ野球の試合を熱い思いで注視していたのは、西鉄ライオンズの全盛期(稲尾、豊田、中西、大下、仰木、高倉・・・の時代ね)や立教のスラッガー長嶋茂雄が巨人に入団したころであるから、ほとんど半世紀前のことである。
かほどにまるで野球に興味のない私であるが、10年ほど前、阪神間の住民となったのをしおに、ラグビーは神鋼スティーラーズ、野球は阪神タイガースを「ひいきチーム」にすることに決めたのである。
本学随一の阪神ファンは学院チャプレンのI先生である。研究室の壁には1985年の阪神優勝の日のスポーツ新聞が貼ってある。
先生は、この間までは「20世紀のうちに優勝シーンをもう一度見たい」と力なくつぶやいておられたが、その後は「死ぬ前にもう一度だけ・・」と要求水準の下方修正をなされていたやにうかがっている。
そのI先生も、いまや文字通り「我が世の春」を奉祝されていることであろう。ひとごとながら悦ばしい限りである。
このまま7月まで阪神が大勝していると、W杯の中継と阪神-横浜戦がTV視聴率を競い合うというような、年頭には誰ひとり予想できなかった事態が現出するかも知れない。
日本プロ野球はもうダメだと思っていたが、「阪神が優勝すれば、すべてがうまくゆく」という「秘策中の秘策」があったのを忘れていた。(あまりにありえない「秘策」だったので、プロ野球関係者の誰一人思いつかなかったのである)
サンフランシスコで、15打数1安打で低迷中の新庄も、いまとなっては、「阪神で四番を打ってる方がよかったかも・・・」と心乱れているであろう。気の毒なことであるが、世の中えてしてそういうものである。