4月5日

2002-04-05 vendredi

入学式。桜はもう葉桜になってしまったが、好天にめぐまれた。
合気道部の諸君は道衣姿で、入部勧誘パンフレットをいっしょうけんめい配っている。
今年の新入部員獲得目標は5名。(毎年そうなんだけど)
「金の卵」をゲットすべく「部室にはこたつがある」とか「部室でヒルネができる」とか「部室でマンガが読める」とか「宴会が多い」とか「袴がはける」とか、あまり武道の本質にかかわりがあるように思えない惹句がビラには書かれている。
しかし、惹句などはどうでもよいのである。
一度「合気道アディクト」の味を知ったものはもう一生、この快楽から逃れることはできないからである。学業をなおざりにし、仕事の手を抜き、家庭を顧みない「合気道バカ一代」になってしまうのである。
学業と業務の遅滞については、いささか問題なしとしないが、さいわいなことに現在のアディクトたちは結婚している人間をのぞくと全員独身であり、顧みなければならないような家庭がないことが不幸中の幸いである。

「宴会が多い」については、ウッキーからクレームがあり、女子学生はふつう「コンパ」と言うのであって、「宴会」というのは、「おじさんターム」であるとの指摘を受けた。
もっともである。
しかし、つとに指摘されているように、わが合気道部員は、外見的には少女であるが、その本質は「おじさん」なのである。
それに照応するかのように、合気道部の師範も師範代も、外見は「おじさん」であるが、その本質は「おばさん」なのである。

ウチダは昔「少女」であった、というはなしは前にしたことがあったね。
小学生一年生のころ、私は毎日同級生の女の子とばかり遊んでいた。男の子がキライだったからである。だって、乱暴でがさつでバカなんだもん。
クラスでいちばんかわいい五人の女の子と毎日手をつないで帰り、誰かの家に集まって、いっしょにゲームをしたりお菓子をたべたりおしゃべりをしたりしていた。
わが人生至福のときであった。
しかし、幸福は長くは続かない。
女の子たちはやがてがさつでバカだけど足が速かったり野球がうまかったりする「男の子」たちが好きになり、私を棄てて去っていったのである。
なんで、あんなバカがいいんだよお、とウチダは泣いた。
しかし、女の子と仲良くするために他に選ぶ道はない。
ウチダは泣く泣く「乱暴でがさつでバカ」な少年への変身をはかり、苦心の末に、本日あるような「おじさん」への人格陶冶を成し遂げたのである。
むなしい迂回であった。
しかし、女子大に職を得、かわいい女の子たちに囲まれて、酔生夢死の日々を送っているうちに、ウチダの中に冷凍保存されていた「少女」が蘇ったのである。
残念ながら、保存状態が悪く、脱水がすすみ、もはや「少女」というよりは「おばさん」と化していたのが悔やまれるが。

合気道部員について言えば、私とは逆の行程をたどって「おじさんへの道」を歩まれかに推察する。
彼女たちは実は幼いときには「少年」だったのである。
そして、隣の席の気弱な男の子たちをしばいたり、背中に毛虫を入れたり、弁当を盗み食いしたりして、豪快な愛情表現をしていたのである。しかし、鈍感な少年たちは、それが愛とは気づかず、くるくるカールにピンクのスカートの色白少女にあこがれの視線を送るばかりで、隣の席から「がはは」と蹴りを入れる少女のうちに燃えさかる熱い思いを知ることがついになかったのである。
こうして愛をうしなった部員たちは、これでは「やばい」ということに思い至り、かつて私が心ならずも「乱暴でがさつでバカな少年」への自己変身を試みたように、「しとやかで繊細で知的な少女」に化けたのである。
しかし、だからといって、その内奥に眠る「がはは少年」は死んだ訳ではない。
合気道部に来合わせ、そこに無数の「同類」を見出した少女たちのうちで、冷凍保存されていた「がはは少年」が蘇生したのである。しかし、すでにてのつけようがないまでに細胞破壊された「冷凍少年」は蘇った瞬間に「がははおじさん」と化したのである。(おお、テリブル。ポウの『ヴァルドマアル氏の病状の真相』くらいにこわい話である。)

これが「宴会」の一文字の背後に隠された、身の毛もよだつ物語なのである。
嘘のようだが、これはほんとうのことなのである。