4月1日

2002-04-01 lundi

父親が入院したので見舞いがてら、多田塾研修会へ。
武者修行中のかなぴょんと、NECに就職して上京したごんちゃんも来ている。
坪井、山田、今崎の諸先輩にご挨拶。
諸先輩が三人ということは、この日私が四番目の古参門人だということである。
いつのまにかずいぶん古株になってしまったのである。
しかし、膝が痛いとか腰が重いとか学生は投げても投げてもぴょんぴょん起きあがってくるので疲れてかないませんとか泣きを入れているのはいちばん若いはずの私一人である。

帰りに新宿の居酒屋に、うちの二人と、若手の気錬会の工藤くんや早稲田の宮内くんを誘ってビールを飲み、年と共に技術的にはどんどん向上しているのだが、体力がそれを上回る速度で減退しているので、若い諸君に私の真の実力をごらん頂けないことはたいへんに残念なことであると言い訳をするが、みな礼儀正しい若者たちなのでにこにこ笑って聞き流している。

自由が丘の大先輩である亡き樋浦直久翁が、「わたしのような『ムカシ人間』がウチダくんのような前途ある若者といっしょにビールをのんでおしゃべりしていただけのも、合気道ならではのこと。ありがたいことです」と温顔をほころばせながら片手で私の手を三教で決めて私の額をテーブルにごんごん打ち付けながら、わははと笑っていたことを思い出す。樋浦先輩にはまだまだ及ばないが、私のような因業なオヤジが若い合気道家にこうしてつきあって頂けるのも同門のよしみである。翁のひそみにならって工藤くんの手を三教で決めながら、笑って説教をかまそうかしらと思ったが、逆に返し技をかけられて土間に投げ飛ばされたりすると立場がないので自制する。
しかし刮目すべき後輩が続々と輩出し、まことに多田塾の未来は明るいことである。

小田急線でいっしょに帰る工藤くんと合気道談義に花を咲かせつつ相模原の実家に。
兄ちゃんが来ているので、さらにワインなどいただきつつ、ひとしきり歓談。
朝日新聞にコラムを連載することになったが、好き勝手なことを書いたら、クレームがついて、何度も書き直しをした、という話をする。
うかつなことを書くと、「投書マニア」の読者から「朝日の良識を疑う」という趣旨の批判が殺到するのだそうである。
ご案内のとおり、私は「うかつなこと」だけを選択的に書き、世の「良識ある人々」の憤激を買って、それをもって操觚の資とするという営業方針を採択しているので、朝日新聞の読者が読んでにっこり微笑むようなものを書くのはほんとうはマズイのである。
しかし、病床にある父親こそ、この「世の良識ある朝日読者」の代表格のような方であり、その父が、「ついに、あのバカ息子も、ようやく世間の良識というもののたいせつさが分かってきたようだ」というふうにはげしく誤解されている。
誤解されたままでは私も困るのであるが、病父にすれば「誤解も良薬」。
親孝行のためには、多少のわがままは自制しなければならない。