3月12日

2002-03-12 mardi

平川克美君に久しぶりに会う。
平川君はこのところ秋葉原の一角に千代田区と秋葉原の地元商店会と企業各社から資本参加してできた「リナックス・カフェ」というところに陣取っている。
1Fがサントリー系列のカフェで、2Fがオフィス、3Fが教室、4Fが研究所。
どういうコンセプトなのだかよく分からないのだが、もう「ビジネス」という従来のカテゴリーには収まらない活動であることは間違いない。
何かが運動し、生成する場を創出するということが目的であって、短期的にビジネス的なプロフィットが出るかどうかというような「せこい」ことを考えている人間は、もう平川くんたちの活動は理解もできいないし、関与もできない仕掛けである。
10年後、30年後の日本の産業構造や社会制度そのものをどう設計するか、という本来なら政治家がやる仕事を、平川君たちがヴォランティアでやっているのである。
ビジネスの世界で先端的な人たちは政治に対しては「口を出すな」という以外にはもう何も期待していないのだ。いまだに政治家とかかわることに何か意味があると思っているのは土建屋と金融屋だけだろう。
ビジネスの最先端にいる平川くんがたどり着いたのは、最後に必要なのは「教育インフラの整備」だ、というのに驚ろかされた。
日本の学校制度はもう破綻していて、使いものにならない。まったく新しいタイプの教育システムを立ち上げて、日本の若い世代に必要なスキルを習得させなくてはいけない、という言葉を聞いて、教師としては顔が赤くなる。
平川君の仕事でビジネス・パートナーになれるのは個人、企業、自治体だけである。「絶対にいっしょに仕事をしないのは、中央省庁、特殊法人、そして大学」
理由は簡単。「誰が意思決定をし、誰が責任をとるのか、分からないから」
そんなところを相手にしている暇はないよ、と平川君は笑った。
中でも大学のデシジョンメイキングと責任主体のあいまいさは驚くべきものだという。
耳に痛いことばだ。
平川君の次の仕事はだから「大学作り」である。
これにはびっくり。
ただし立花隆の「ユービキタス大学」とはだいぶ趣向が違う。
内外から資金を200億ほど集めて、スタンフォードやUCLAに対抗できるようなまったく新しいタイプの大学(研究機関とビジネス拠点をかねる)を作る予定だそうである。
これまで「やる」といった計画はすべて実現させてきた平川君であるから、きっとこの大学作りも実現させてしまうのであろう。
あまりに途方もない話に頭をくらくらさせながら、帰途に就く。

夜はお兄ちゃんとユータが登場。
ユータは二ヶ月前からまじめにドコモの携帯電話ショップの営業マンになって毎日ネクタイをしめてスーツをきて出勤しているそうである。
なんと無遅刻無欠勤。
あまりの人間の変わりぶりに兄は感涙、母も私も「えらいえらい」と就職祝いをはりこむが、クールでリアルな父上だけは「いつまでつづくかね、ふふふ」と冷笑。
「子どもの言葉をもっと信じてやろうよ、お父さん」と言いながら、「これからはまじめになります」という子どもの約束を決して信じないような人間に父がなってしまった理由に思い至り、語尾が消え入る。

11日には数ヶ月ぶりで、るんちゃんにも会った。
るんちゃんが何か「けなげ」なことを言って、私が「ほろり」としたら、涙をぬぐう木綿のハンカチーフを探しつつ、さりげなく内ポケットに手をやって「これは、些少だけど、ま、当座の小遣いにね」と差し上げようとタイミングをはかっていたのであるが、ついに最後までぴしりと封印されてしまい、880円のオムライスをおごるのが精一杯であった。
親が小遣いを渡すタイミングを完全に封じ切るとは、さすが、わが子ながら天晴れという他に言葉がない。