3月8日

2002-03-08 vendredi

うっかり本を出したりすると、「あ、ウチダだ。こんなことしてたのか」と、思いがけない人からメールを頂くことがある。
このあいだは駒場のときに知り合いだった植村恒一郎さんという哲学者からご本を送って頂いたという話をしたけれど、またまた「32年前にお会いしたことがあります」という方からメールが来た。
こんどは女性である。
名前に覚えがないので、「大学のときの知り合いですか? 忘れちゃっててすみません(冷汗)」というご返事メールをしたら、なんと、1970年の五月祭のダンパで、私が「ダンスしない」とフロアに誘った女の子だった。
さいわい先方は私の意馬心猿の下心を見透かして、賢明にも言下にお断りになったため事なきを得たのである。
そのわずか一分ほどの出来事について、私はもちろん何一つ記憶していないが、先方は私の名前まで覚えていて下さったのである。
別に私がそれほど印象深い人間だったからではなく、その方のお友だちから「あなたに声かけた男はウチダ・タツルといって、とんでもないワルモノなのよ」と事後に情報提供があって、「ふーん、いい名前だな」と思って、(「いい男だな」ではなく)顔は忘れちゃったけど、名前だけずっと記憶されていたのである。

思い起こせば、それは1970年五月祭のときのダンパで、私は一年生空手部員として「警備」に当たっていたのである。(何の「警備」だか)
五月祭のダンパというのはもう「ボーイ・ミーツ・ガール」の修羅場のようなところであり、私も「警備」の合間を縫って、こまめに「ミーツ」を心がけていたらしい。
ミーツおよびミーツ以後の出来事については、私の記憶中枢は完全に空白となっているので何一つご報告できないのが残念であるが、19歳のときのウチダは現在の温良な風貌とはだいぶ様子が違っていて、「東大生とは思えないほど粗暴で野卑な青年」であったと当時の関係者が口々に証言しているところを見ると、そのおりも「粗暴で野卑」なふるまいが散見された可能性は否定できない。
しかし、大学に入ってまだ二ヶ月足らずなのに、どうして他大学の女の子にまで「ウチダというのはとんでもないワルモノだ」というような根拠のない風評が喧伝されていたのか、思えば謎である。

そう言えば、その一月ほど前、入学式のあとにクラスで自己紹介したとき、私が「ヒビヤを中退したウチダです。よろしうたのんます」と挨拶したら、教室の後ろの方から伊藤くんがびしっとガンを飛ばしてきて、「おめーが、ヒビヤのウチダか。噂はいろいろ聞いてるぞ」とにやりと凄まれたことがある。(広く知られているように、1970年は東大入試中止の翌年であり、全国の品のよい秀才はみな東大を敬遠して、ほかの大学に行ってしまい、この年度の入学生には、最高学府の学生とは思えないようなたたずまいの学生が相当数含まれていたのである。)
私としても最初からなめられると、あとが大変なので、ガンを飛ばし返して、「何聞かされてっかしらんけど、ま、それはそれよ。ワシもご当地は新参じゃけ、あんじょう引き回したってや」と悪魔のような笑みを返したのであった。
でもいったい伊藤くんは誰から何を聞かされていたのであろう。
ああ、気になる。(そのときすぐに伊藤君に聞き返せばよかったのであるが、まわりが聞き耳を立てていたので、質問をはばかったのである。惜しいことをした。)伊藤さん、こんど会ったとき教えて下さいね。