3月5日

2002-03-05 mardi

『ミーツ』の最新号が届いたので、読む。
アジサカコウジさんのマンガが楽しい。
『レヴィナスと愛の現象学』の書評の他にレコード評にまで本の名前が出てきたのにはびっくり。ソウルのCDの批評にレヴィナスが出てくる時代なのだ。
老師も草葉の蔭でくすくす笑っておられることだろう。
「街レヴィ」(@橘真)(これは「街のレヴィナス派」の略語です)のさらなるご活躍を祈念したい。
しかし、私は岡田山キャンパスと御影山手の「山から山へ山めぐり」(@山姥)をしているだけのひとで、考えてみたら「街場の現代思想」とかいいながら、「街」は車のウィンドー越しに眺めているだけである。そんな人間が偉そうに「街場では・・・」みたいなことを書いていてよいのであろうか。

おそらく同世代で私ほど家から出ない人間も珍しいであろう。
昨日も今日も夕食の買い出し以外ほとんど家から出ず。
ひたすら背中をこわばらせて『困難な自由』の翻訳に励む。
いまは第二章の「注解」を訳しているところ。
紀元一-二世紀ころのバビロニアやパレスチナの律法博士たちの「メシア」にかかわる恐ろしくディープな議論である。
これがどういうわけか滅法面白い。
なぜ面白いのか理由が分からない。
理由が分からないけれど、面白い。
レヴィナスの綴る律法解釈の一行一行が全身の細胞にしみこんでゆく。

私が何かを面白いと感じるのは、ほとんど身体的な水準の出来事である。
「理屈抜きに面白い」という表現があるけれど、私が「面白さ」を感知するのは、「理屈」経由ではない。「身体」経由である。
私が他の学者と違うのは「身体をベースにしているからだ」とこのあいだの電話できっぱり甲野先生に断言されてしまった。
「身体をベースにして学問している」というのはどういうことなのだろう。
別に身体論的視座から哲学書を読んでいるわけじゃない。「論」はいつだって「あとづけ」である。
身体で本を読む。
それはたしかだ。
「数学の問題は肘で解け」というのは竹信学兄にお聞きした名言であるが、これは灘校の数学教師のお言葉だそうである。
ことの本質を衝いた言葉だと思う。
私もフランス語の授業で動詞の活用を板書しているとき、口では別のことをしゃべりながら、手だけは関係なしに勝手に動詞の活用表を黒板に書いている。
フランス語動詞の活用表を「手が覚えている」のである。
武道では「身体を割って遣う」ということがたいせつだ。
右半身と左半身が別の仕事をする。上半身と下半身も別のことをする。
手の内でも上半分と下半分は別のことをしている。
セグメントに割れれば割れるほど武道的には「甘みのある」動きになる。
頭にはこんな芸当はできない。
身体はいろいろなことができる。

ときどき街を歩いているとき、若い人(とくに若い女性)の身体のあまり鈍感さに驚くことがある。
背中に表情がない。
こわばっている。
たぶん前から見たら視野狭窄的な目つきをしているのだろう。
ほとんどの人は前半分しか使っていない。背中が死んでいる。
ストーカー被害ということが頻繁にあるけれど、stalk という英語の原義は「そっと忍び寄って獲物を仕留める」という意味である。
あの鈍感な背中では、いくらでも忍び寄れるだろう。数センチのところまで近寄られても気がつかないのではないか。
サバンナの草食動物だったら、みんなライオンに喰われている。
ふつうに「すっ」と立っていて、「すたすた」歩いていて、それでいて全身が活発にセンサー機能を発揮している感じのする人には背後からでも「忍び寄る」ことができない。
そういう感じのする女性はほんとうに少ない。
いると、「ああ、いい感じだな」と思う。
都会を歩くというのはサバンナを歩くのと同じだ。
それは身体感覚を鋭敏にする、というだけのことではない。
「自分を含む風景の全体を鳥瞰的に見下ろす」想像力も動員しなければいけない。
そういうふうに「ランドスケープの中にいる自分」を眺めるという想像力の使い方がいまは構造的に欠如している。
私が街に出ない理由の一つはそれで疲れちゃうからである。
ラッシュアワーの大阪駅なんかにいるとびりびり気が張って、ぐったり疲れてしまう。
だって、誰かに背中から押されたら、最後である。
電車がホームに入ってくるとき、私は絶対「白線」の側になんかいない。

甲野先生はいつも着物で高下駄で刀を持って街へ出る。
その条件では「匿名的マッス」に紛れ込むことができない。
自分だけが「特異なもの」として(必ずしも友好的ではない視線によって)注視されているという意識をあえて持ち続けることで、先生はおそらく「鳥瞰的視座」を確保している。

能の下川宜長先生も、街へ出るときはいつでも即喧嘩になる覚悟をしているとおっしゃっていた。
まわりは全部「怪しい奴」と思って新幹線に乗っているそうである。いきなりナイフでつっかけられてもかわせるような心づもりでいるという。
はじめにそれを聞いたときは先生の「用心深さ」にげらげら笑っていた。
そんな、先生にいきなり斬りかかる人間なんかいるわけないじゃないですか。
だが、よく考えてみたら能楽師である下川先生はおそらくそのようにして、「360度から見られる」身体感受性を絶えず訓練されていたのである。
それはおそらく日常の生活の中ではすぐに鈍磨してしまう、身体のある感知機能をオンにしておくために必要な稽古なのだ。

そういう身体感受性を磨く訓練法というものを日本社会は、家庭でも学校でももう誰も教えない。
「男は外へ出れば七人の敵がいる」という言葉が昔はあった。
この「敵」というのはおそらく実体的な人間のことではない。
前後左右八方のうち、正面の視野を除く七方についても決してセンサーを働かせることを忘れるな、少なくとも自分を含めた七人くらいまでの範囲の「ランドスケープ」はつねに鳥瞰的視座から見下ろすような身体的想像力の訓練を怠るな、というこれはおそらく教えなのだ。
それはとてもとても大事な身体訓練であり、たぶんそのまま「知性」の稽古でもあると私は思う。

「やーね、『男は』とか『七人の敵』とか、ばっかじゃないの。そーゆーのを父権制イデオロギーってゆーのよ」

そういう世迷い言をいつまでも言ってると、ほんとに身体から腐っていくぞ。