3月2日

2002-03-02 samedi

玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論社)を読む。
ずいぶん前に新聞の書評を見て、すぐに買って置いたのだが、『ミーツ』でフリーター論を書くことになっていたので、「影響されると困るな」と思って読まずにいたのである。
誰でもそうだけれど、ものを書くときには、あらかじめ頭の中に「いいたいこと」があって、それを文字化するわけではない。
何にもないところでいきなり書き始めて、あとは「手で考える」のである。
だから書き終えてから、「ああ、私はこういうことを考えていたのか」ということを事後的に知ることになる。
ほんとうは「そのとき思いついたこと」だから、「前から考えていたこと」ではないのだが、本人は「前から考えていたこと」を思い出したのだと信じている。
だから、「前から思っていたこと」という「袋」には何でも入る。
当然、他人の意見も入ってしまう。
「無意識とは他者の言説である」というラカンの命題は、ひらたく言い換えれば、「自分の意見だと思い込んでいることの過半は他人の意見だ」ということである。
まったくその通りである。私もまえまえからそう思っていた・・・・って、これがその好個の適例。
というわけなので、ほかの人の本を読んで「あ、これおもしろいわ」と思ったことは当然記憶に残るのだが、原稿を書くとき、私はずるこくそれを「自分が前から考えていたこと」として思い出してしまうのである。
玄田さんの本は書評を見ると「なんだかウマが合いそう」だったので、これを読んでしまうと、玄田さんの言説がウチダの無意識を構造化しそうで、それを忘れて自分の意見だと思って原稿を書いて、読んだ人に「なんや、マネッコやんか」と言われるとやなので読まずに放置しておいたのである。

しかし、無事にフリーター論も仕事論も書いたので、その次のネタに、と『仕事のなかの曖昧な不安』を取り出した。
よい本である。
私は雇用状況についての統計資料の読み方なんか知らないし、労働経済学という学問にもとんと不案内であるが、

(1)むかし会社を経営して、若い社員を雇っていたことがある
(2)むかし若い営業マンだったことがある
(3)いまも三社のヴェンチャー企業の株主・役員であり、ときどき雇用形態について意見を聞かれることがある
(4)就職の面接をするおじさんたち(私の旧友たち)から採用の内情を聞くことがある

など、複数の判断材料を持っている。その点では、ほかの大学教師よりはだいぶ若年労働者の雇用事情には通じている。
その上で玄田さんの本を読んで、深い共感を覚えたのである。
この本についての論評ではフリーター論の新しさがとくに強調されていた。
玄田さんはこう書く。

「フリーターが増えるのは、就業意識が薄いからと強調するけれど、それ以前に社会構造的な問題があります。つまり、中高年の雇用を維持する代償として若年の労働機会が減っているのは間違いない。まずこの問題を解決するのが先決。若年層だけをいじろうとしても効果的とはいえない。」

実際に聞いてびっくりなのだが、失業率という数値が内容を示さないままに一人歩きしている、ということである。
メディアの論調では、まるでそこらじゅうでどんどん中高年がリストラされているかのようであるが、年齢別に見ると、失業率には大きな格差がある。
2000年度で、大卒45-54歳の失業者数は(実数だよ)5万人である。310万人の完全失業者数の2%である。東京ドームに入りきるのである。
一方、中卒または高卒、25歳未満の失業者数は38万人。
日本の失業者の四人に三人は中卒、高卒者であり、そのほとんどは若年層と老人に集中している。
社会の二極化がここでもはっきり進行している。

玄田さんの力点はこの問題にあるのだが、ウチダはもう一つの統計数値のほうに驚いた。
それは、「非労働力人口」。
これは「家事」「通学」「その他」に分類される仕事をしていない人たちの数である。
これが2000年で4057万人。
「家事」の主体は主婦、「通学」は生徒学生であるが、分からないのが「その他」。

これが1466万人いる。(90年代に326万人増えた)
「その他」のひとたちがまじめに仕事を探していれば、「失業者」である。
するといきなり日本の失業者数は1800万人になり、失業率は30%を越してしまう。

失業率30%といったらもう「革命前夜」である。そこらじゅうで放火略奪が起きてよいような社会情勢である。
さいわい、(ほんとうに、さいわいなことに)この「その他」のみなさんの大多数は「なんとなくいい仕事があったら、してみようかな・・・」という程度の、「本人ですら自分がいま仕事を探しているのかどうか、不明確なケースが多い」ので、とりあえず「非労働人口」に算入され、失業率算定の分母からは控除されているのである。
つまり、失業率というあらゆる施策の基本となる統計数値の根拠になっているのは、その人が「仕事を本気で探している」と「仕事を何となく探している」かの副詞の違い、気分の違いだったのである。

「なんでもやります。とにかく仕事したいんです」と言えば失業者。
「仕事? やっぱ、クリエイティヴでやりがいのある仕事がいっすよね、やっぱオレ的には? オレらしさ?っていうの、そういうこだわりっていうの?」と言えば非労働人口。

これにはびっくり。
気分で決まってたんだ。失業率。やっぱし。
これで私が『ミーツ』の今月号に書いたデタラメ・フリーター論が労働経済学統計データによって論証されてしまった。
どういう話かは、本屋さんで買って読んでね。