2月25日

2002-02-25 lundi

とうとう一度も見ないうちにオリンピックが終わってしまった。
TVを昼間ザッピングしているときに数分間見たことはあるが、競技の「結果」が出るまで見たものはひとつもないから、まあ「見てない」と言って過言ではない。
審判の不正とかドーピングとかいろいろあって、後味の悪い五輪だったようだ。
オリンピック競技自体は嫌いではないし、スキー競技とかはけっこう好きだけれど、日本のTVの情緒的な報道姿勢が大嫌いなので、結局見ない。
サッカーのWカップも愛国的なアナウンサーの絶叫が入るようなら見たくない。
だいたい国別対抗戦という仕様がウチダは嫌いだ。
こういうものは個人対個人の水準で見るのが筋目だろう。
日本の獲得メダルがいくつ、とかいうのは、「合気道六段、居合三段、杖道三段、珠算四段、書道五段、囲碁六段、足して二七段」というようなもので何の意味もない足し算だと私は思う。
ドーピングがなぜいけないのかもよく分からない。
ドーピングは身体能力を一時的に高めるわけだが、こういうのはシャブと同じで、未来を担保にして現在の身体能力を「買っている」わけである。そういうのは「やりたければやれば」と思う。
内臓がぼろぼろになっても、骨が腐っても、命を縮めてもいま勝ちたいというのは、人間の狂気のありようとしてはしごく「まっとうな狂い方」である。
だいたいスポーツは身体に悪いんだから、いくら身体を悪くしてもとにかく勝ちたいというのは、発想としては順当なのである。
五輪選手がみんなわけのわからない薬物で異常に肥大した筋肉や超人的な心肺能力を競う「サイボーグ合戦」なったらなったら、なったでよいではないか。
そういうフリークス・ショーなら私はTVを見るかもしれない。

こういう憎まれ口をきいているウチダであるが、ローマでオリンピックをしていたころは熱心な五輪ウオッチャー(ていってもTVがないから新聞のね)であり、「山中、ローズ、コンラッド」などという名前をつけたコマを並べて「100メートル自由形すごろく」などを自作していたのである。
ウチダも幼く、オリンピックもまだ若かった。
36年のベルリン・オリンピックでのナチ・プロパガンダの後味の悪さがまだ各国のスポーツ関係者に残っていたので、「質実剛健」の雰囲気があったのかもしれない。

何年か前にローザンヌで数日のバカンスを過ごしたことがあった。
シックな街であったが、することがないので、ひまつぶしにオリンピック・ミュージアムに行った。
そのとき地下の図書館を徘徊していたら、書棚の片隅に「東京オリンピック計画書」というフランス語の文献をみつけた。
私はそれを手にとって、つい二時間ほど読みふけってしまった。(ひまだったからね)
1964年の東京オリンピックではない。(そんなもの読むわけがない)
IOCに提出された1940年の「幻の東京オリンピック」の実施計画書である。
これはほんとうに面白いドキュメントであった。
会場や選手村の設計図や写真を見ると、まだ東京が空襲で破壊される前の、「帝都」の透明で穏やかな空気と、当時の日本のオリンピック関係者の「スポーツの祭典の端然とした成功を通じて日本の国際的認知の向上」への情熱が行間から伝わってくる文書であった。
このオリンピックに出場するはずだったアスリートの多くはそのあと戦死した。
たぶん日本にはもう何部も残っていないだろうローザンヌの地下書庫に埃にまみれて置いてあるこの本を誰か覆刻してくれないだろうか。
「オリンピックとは何か」ということを日本人がもう一度考えるよい機会になるとウチダは思う。