修士論文の口頭試問。私は三人の修論の担当なので、午前中から夕方まで連続で試問につきあう。
『平家物語』長門本における平重衡像について・手塚治虫マンガにおける「鼻の大きな男」について・民族性の記号としてのキムチについてという、不思議な取り合わせの論文である。
いずれも修論としてはそれなりの水準のもので、私としては楽しく読ませてもらったが、ウッキーの「手塚治虫論」が私自身の個人的なテーマ(男はどうやったら「母」になれるのか?)と重複しているので、私には切実なものであった。
口頭試問なのに、ウッキーそっちのけ、副査の飯田先生とでああでもないこうでもないと話し込んでしまった。
男はどうやったら母になれるのか?
「母」というのは「男」「女」という意味でのジェンダー概念とは水準を異にする別の社会的機能である。
「父になるとはどういうことか」という問いをめぐって西欧文明は人間の造型を構想してきた。「母になるとはどういうことか」を誰も真剣に議論しなかったのは、「母」には女は誰でも、特段の努力なしになれる。そういう「本能」がビルトインされているのだ、という考え方がひろく定着していたからだ。
もちろん、妊娠させたら男は「父」になり、出産したら女は「母」になるというものではない。
それはセックスやジェンダーとは別水準にある社会的機能であり、ある種のリソースを準備しえたものだけが主体的にそれを引き受けることができる。
母になるために必要なリソースとは何か?
私は父子家庭の父親として娘と暮らした12年間そのことをずっと考えてきた。
ぼんやりと分かったのは、母の本質的なみぶりが「子供が欲するものを与える」ということであり、父の本質的なみぶりが「子供の欲望にブレーキをかける」ということ。母の本質が「赦す」ことであり、父の本質が「査定すること」だ、ということである。(まあ、それくらいのことは誰にでも分かるけど)
そして、子供にとってまず優先的に必要なのは母であって父ではない、ということも分かった。
母がいなければ何も始まらないが、父がいなくても何とかなる。
「いなければ何も始まらない母」はもう「いる」から、「父とは何か」という問題だけが前景化する。
子供が育ってゆく過程では、もうだれも、「それなしには何も始まらなかったものとは何か」を問おうとしない。
このお正月に多田先生のお宅にお年賀に伺ったときに、多田先生がいつものように私たちにお雑煮をごちそうしてくれた。先生が台所でエプロンをかけて菜箸を握っているので、カメラを向けたら、先生が照れくさそうな笑顔をした。(ぱちり)
先生は、私がお宅にうかがったときに、ご自分の席を立って、その場を私に明け渡して、私たちに「食べ物を与えるために」台所に立たれたのである。
ウチダは考えた。
もしやあの「女性的なるものの超越はここより他の場所に身を引くことに存する」というレヴィナス老師の言葉がさしていたのは、このような事況ではなかったのだろうか。
15年前、レヴィナス先生のお宅に伺ったとき、レヴィナス先生がコワントローをごちそうしてくれた。短い足をちょこちょこ運んで先生が「ごめんね、妻が入院しちゃってさ、何もないんだよ。お持たせのコワントローを頂きましょう」と台所に立つ後ろ姿を見ながら「今日から『お師匠さま』と呼ばせて頂きます」とウチダは心につぶやいた。
お師匠さまたちは、私の「母」である。
私からは何ひとつ求めず。無償で、何の見返りも求めず、私にご自身がもっているいちばん素晴らしいものを贈ってくれた。
そして、なぜかウチダが「お師匠さま!」と胸を熱くした、その決定的な局面において、師たちはそのつどある種の濃密に「女性的」な図像的記号をその身にまといつかせていたのである。
思い起こせば、二年前、私の50歳の誕生パーティでヤベッチが演じた「ウンパンマン」の主人公は、前後ろ反対にかぶった野球帽にサングラス、Tシャツにエプロンをした「戯画化されたウチダ」であった。
上半身が男性ジェンダー化され、下半身が「母」化され、暴力的だが礼儀正しい「ウンパンマン」をキュートな少女が演じる、というあの「アンドロギュノス的造型」のうちには、もしかすると師弟関係と母性とエロスの秘密のすべてが蔵されていたのではないか。
ウッキーの修論の結論は手塚治虫は「マンガの神様」ではなく「マンガの母」である、というものであった。
ウッキーの直観は正しい。
自分がどれほど正しいかウッキー本人が気づいていないくらいに正しい。
(2002-02-14 00:00)