2月10日

2002-02-10 dimanche

肝腎の「学内某重大事件」の調査委員会報告について、ご尽力下さった上野先生、山本先生、石川先生、そして松澤先生にお礼を言うのを忘れてしまった。
ご苦労さまでした。
いろいろと人には言えず、「黙して墓場まで持って行くしかないかこれは」的な陰のご苦労があったと思いますが、ご努力に感謝いたします。ありがとうございました。
とにかくこれで学内某重大事件も一件落着。
これを機に、松澤新院長のもとで学院組織の新規まき直しを期したいものである。

土曜日は合気道のお稽古。
今週も二人新人が登場。おひとりは自由が丘道場の後輩である。(毎日新聞のパイロット、鳥山希さん)
自由が丘を去ってはや12年。その間に私の後輩たちが指導員となって育てた門人がこうして道場に来てくれるのである。歳月の流れるのははやい。
鳥山さんは多田先生の直門であるから、私の弟弟子であり、うちの門人からすると「叔父貴筋」に当たる。きっちり筋目を通した応接を門人諸君にはお願いしたいものだが、そういえば、北澤さんも高雄くんも「叔父貴筋」だったし、常田くんもそうそうなんだ。でも、「ぴーちゃん」だもんな。もうちょっと敬意がないとまずいかも。
もう一人は「凛道」という糸東流空手系の武道を嗜んでいる木下さんという女性。
杖の稽古に来ている小西さんや曽我くんの後輩だそうである。
かなぴょんがその謎の全国ネットワークを利してリクルートしてきたのである。
かなぴょん神出鬼没。

お稽古のあとは下川先生のところで能の稽古。
私一人だったので、ヨーカンなどをつまみつつ先生ご夫妻といろいろおしゃべりをする。
こういうときにぽろぽろと先生がお話ししてくれる芸談が私にはいちばん面白い。
帯刀さん(私の50年先輩の兄弟子)が登場されたので、二人で『安宅』の素謡のお浚い。
帯刀さんのシテ(弁慶ね)は横に坐っているとヴァイブレーションで身体が震える。
合気道ではさすがに50年先輩という人はいない。(多田先生の植芝道場入門25年目に私が多田先生に入門したのだからね)
帯刀さんは下川先生が生まれた年に先代に入門されたのである。
私が70歳のときにあれだけの声が出て、あれだけの舞ができるようになるだろうか。(ていうか、70まで生きてられるだろうか)

家に帰ってからセクハラ問題のネタさらいにヘーゲルの『精神現象学』とプラトンの『饗宴』と岩井克人の『貨幣論』を読む。

日曜は従兄のツグちゃんと「にしむら珈琲」の三階でステーキを食べる。
ツグちゃんはものすごい「へそまがり」で、狂牛病問題で牛肉を食べる人が減ったと聞くともうステーキを食べたくてがまんできない、というタイプの人である。(「へそまがり」は内田家、河合家双方に通じる家風なのである)
昼からゴージャス但馬牛のレアをばりばりと食べる。
おいしー。
先週はじめに「78キロ」という「テラ・インコグニタ(未知の領域)」に踏み込んだウチダは、「ダイエット」宣言をして、それから毎日「厚揚げとコンニャクと素うどん」という質素な食生活をしていた。(おかげでとりあえず74キロにまで落とした。)
肉を食べるのはひさしぶりである。
おいしー。
おまけにツグちゃんのおごりである。
らっきい。
この年になってもまだ従兄からは「ま、いいよ、たっちゃんは」とおごってもらえる。親族というのはありがたいものである。
ツグちゃんの本日の「へそまがり」語録は

(1)牛肉より豚鶏のほうがずっと危険である

(2)ガンの手術はしないほうがいい(「うちのじいさんの前立腺ガンは誤診、モリモトの従兄の食道ガンは医療ミス。医者にかかると死ぬよ」)(ツグちゃんは歯医者さん)

(3)抗ガン剤は血液のガン以外はまったく効かない。あれは製薬会社の治験のために人体実験をしてデータをとっているだけである

(4)医者も歯医者ももう供給過剰なので投資した莫大な学費はドブにすてているのと同じである

(5)あらゆるスポーツは身体に悪い

(6)通勤時間はできるだけ長い方がよい

(7)長女のアカリちゃんは今年北大の歯学部に入ったが、工学部に転部させる

(8)娘といっしょに開業するなんてまっぴらごめん

(9)ついの住みかは京都がいい(人が悪くて、気候が悪いから)

(10)大学はカルチャーセンターに衣替えしてジーサンバーサンを相手にしなさい

などなど。
ツグちゃんは一見すると温良な紳士である(若い頃はものすごい美形で、二十歳くらいのとき、私と二人で並んで歩いているとき、街行く女の子が次々と振り返ってため息をついていたのを私は苦々しい思いで記憶している)が、性格はごらんのとおりのワルモノである。
ツグちゃんの兄のヤッチャンも劣らぬワルモノで、家産を一代で使い切った親族中随一の浪費家である。
私はこの二人の従兄が大好きである。
彼らと話していると、「私もまだまだ修業が足りない」と思う。