鈴木晶先生は眠り続けておられるそうであるが、鈴木先生にかぎらず、二月の第一週になると大学教師が短期の冬眠に入るというのはほんとうである。
入試が終わり、「ああ、もう学校にゆかなくてもいいのね」と思って気が緩んだ瞬間に、一年間の疲れが「どっと」押し寄せてきて、そのまま倒れてしまうのである。
私も二月に入ってからは眠っても眠っても眠り足りない。
午前八時には起きるのだが、ゴミ出しをして新聞を読んで、あくびをしながら朝御飯を食べ、満腹になると、またふとんに潜り込んで「二度寝」に入ってしてしまう。
おひる少し前にのそのそ起き出してお昼ご飯を食べ、満腹になると、またふとんに潜り込んで「お昼寝」に入る。
夕方近くになってようやく起き出して、お風呂に入って少し目が醒めて、多少仕事などをするのだが、8時になるとお腹が空いてくるので仕事を止めてワインなんか呑みながら晩御飯を作る。そのままのったりとホットカーペットのうえに横になってバカ映画などを見ているうちに居眠りをしはじめ、そのままずるずるとベッドにはいずってゆく・・・というような生活をしている。(7キロ太るのも当たり前か)
だが、これを怠惰であるとかプチブル的退廃であるとか難詰されては困る。
私は自然治癒の力に身を任せて、痛んだ身体を内側からゆっくりと癒しているのである。
今日はだいぶ体力が戻ってきたので、午前10時半に起きて、お掃除と洗濯をする。(快晴で最高のお洗濯日和だ。)
このあとは一気に『いきなり始める構造主義』のフーコー論を仕上げてしまうのである。
今回思ったんだけれど、フランス構造主義のなかで日本の学者にいちばん方法論的な影響を与えたのは、フーコーだろう。
私自身はフーコーはあまり好きではない。
アイディアはほんとうに素晴らしいのだが、あの透明な考想がどうしてあんなぐちゃぐちゃした悪文で表現されなければならないのか、それが分からない。
私がフーコーくらい頭がよかったら(無意味な仮定ですけど)、もっとシンプルに書くけどなあ。
(2002-02-06 00:00)