2月2日

2002-02-02 samedi

一週間ぶりの合気道のお稽古。
試験も終わり、卒論も出し終えて、せいせいした顔の学生さんたちがどかどかやってきて、金曜の子供教室のお子さまたちや新顔の人間科学部のドクターの土井さんも加わり、総勢19名のにぎやかさ。
経験的に言うと、合気道の稽古はマジックナンバーが8人。
8人を超えると稽古の密度がぐんと深くなる。どうしてなんだろう。
稽古する人が8人ということは、ひとりひとりからすると、稽古の相手が7人いる。
それがくるくる入れ替わる。1時間半の稽古で、7人相手だと、その日の稽古中には一度しか組めない相手が出てくる。
この稽古における「一期一会」度というものが、心理的に快適な緊張感をもたらすのではないだろうか。
つまり、わずか数分だけのテンポラリーなペアの相手だから、一回うかつなやりとりをすると、とりあえずその日は「とりかえしがつかない」。相手の体感を「読み違え」て、うまく身体的なコミュニケーションがとれないと、何となく「いがいが」した感じをお互いに残してしまう。
それを避けようとすれば、最初の接触から、全身の身体感受性の感度を高めた状態でわざを始めないといけない。
身体感受性が高まり、皮膚感覚が鋭くなると、身体の「透明度」が高くなる。自分の身体の「内部」がどういうふうになっているのかが少し見えてくる。同時に相手の身体の「内部」が、どうなっているのかも。どこに体軸があって、どういう角度であり、どこに力の支点があり、どこに重心が寄っていて、どこに「凝り」があるのかが、微妙に感じ取れるようになる。
そうなると、技を遣うことよりも、おたがいにその「情報のとりあい」に夢中になってくる。身体が「中枢的に統御されて」いる状態から、身体の各部が自立的に、「現場で」いろいろな仕事をするようになる。
不思議なもので、身体が主で、身体各所に「前線司令部」みたいなものが展開していて、それが自立的に働いているときは、あっというまに時間が経って、ほとんど疲れを覚えない。反対に意識が主になって、そこが中枢的に身体を「使う」モードで動いていると、時間の経つのは遅く、筋肉や関節の疲労感が強い。
昨日の稽古はそういう意味ではとてもよい稽古だった。
合気道はほんとうに愉しい。

稽古のあといったん家にもどって仕事をしてから、夜は塚口のナバエさん宅の「おひろめパーティ」。
飯田先生とソプラノ歌手の森永一衣さんとご一緒に四人でまず「うどんすき」を食べて、熱燗などを呑む。(森永さんとナバエさんは「防寒グッズについての情報交換仲間」である。)
それからナバエ邸にうかがう。
前の家もすごかったけれど、今度の新居もすごい。
インテリア雑誌のグラビアにあるようなお部屋である。
生活感が絶無なのである。
生活感のある家具がなに一つない。
ぴかぴかに磨き上げられたガスレンジの横(ウチダの家の場合だと、ラー油胡麻油塩胡椒醤油ニョクマムなどが林立しているあたり)になんと「英和辞典」が置いてある。
うちの台所だとまな板、ざる、缶切り、メジャーカップ、調理はさみ、ジフ、キッチンハイターなどが並んでいるところには、スコッチ、バーボンなどの美しい瓶がずらりと並んでいる。

「料理って、しないの?」
「サラダくらいは作りますけど」

なるほど。
英和辞典はサラダを作りながら、「エンダイブ」とか「クレッソン」とかの綴りを確認したりするときに使うのかもしれない。
LDKをぐるりと見渡して驚いたことに本が一冊もない。
そういえば書斎の本棚にも英語の本しかなかった。(きっとどこかに隠してあるのだろう)
うちは玄関を入った瞬間にもう本棚があり、そこには井上雄彦のマンガや高橋源一郎の小説や田口ランディのエッセイなどがデタラメに放り込んである。(トイレに入る前に、好きな本を選べるようにしてあるのである。)
とにかく、ここまで生活臭を完全排除した家というのを私は見たことがない。
もちろんたいへん居心地はよいし、家具の趣味も最高である。
だから、ナバエさんが「しばらく留守をするから、ちょっと住んでてもらえますか」と私に頼んだとしたら(ぜったいに頼まないと思うが)、一月後くらいにはウチダ的には最高に居心地のよい空間になりそうである。(帰ってきたナバエさんは玄関で蒼白となって立ち尽くすばかりであろうけれど)
10時過ぎに山本浩二画伯が登場。(画伯は森永さんのご夫君でもある。)
ワインもだんだん回ってきて、全員の高笑いのインターバルがだんだん短くなってきたころ、ピンポンとチャイムがなって、ご近所から苦情が入る。(ごめんね、ナバエさん)
それにもめげずにさらに午前2時すぎまで宴会は盛り上がり続けた。

おかげで日曜は夕方まで二日酔い。
お茶をのみながら神鋼vsサントリーのラグビー日本選手権決勝戦を見る。神鋼は大畑くんの目の醒めるような3トライにもかかわらず惜敗。(とくに最後の四つ目の「幻のトライ」は惜しかった。)
すっかり元気をなくして、またベッドにもどって爆睡。
年のせいで、だんだんお酒に弱くなってきた。
むかしはお昼には前日の酔いは完全に消えたのだが、最近は日が暮れても前夜の酒が残っていることがよくある。
あるいはむかしより酒に弱くなったのではなく、呑む量がむかしより増えているのかも知れない。
たしか昨日は私ひとりでビール一本半、熱燗二合、シャンペンを半瓶、ワインを二本近くあけているはずである。節度のない飲み方だなあ。
少し反省して、今夜はウイスキーのコーラ割りなどという軟弱なものを飲んでいる。
二日酔いの日の夜でも、やっぱりJ&Bはうまい。