1月27日

2002-01-27 dimanche

ひさしぶりのまるオフの一日。
お洗濯をして、お掃除をして、それから「カナ姫」ご依頼の卒論(エリック・ロメール論なのだ)を仏訳するというお仕事にとりかかる。
今日までは比較的順調に来たのであるが、なかほどの「ロメールの言説の多様性」という章で、はたと歩みが止まってしまった。
意味が分からないのである。
意味の分からない日本語は、いかなウチダといえどもフランス語にすることはできぬ。
あなたは次の日本語を仏訳できるか?

「ところが、そうしたニュアンスは映画作品にとっては本質的なものであり、そのため、場合によっては、過去(ときには反復過去ですらありうる)の時制で展開する出来事に、言葉が発せられる時点で、観客を必然的に現在に連れ戻してしまう台詞を組み合わせることは、不都合を生ぜずにはおかないのである。」

ひとこと彼女のために弁明するならば、これはカナ姫の文章ではなく、彼女が別の本から引用している箇所である。
これ自体がフランス語からの翻訳なのである。
誰が訳したのかしらないが、まあ、ひどい訳文である。
おそらく原文は関係代名詞や現在分詞がこみいった構文であり、それをフランス語のあまりできない人が直訳してしまったのであろうが、この訳文から、オリジナルの「正しい」フランス語に遡及することは私には不可能である。
しかし、この手の一部引用箇所をのぞくと、カナ姫の日本語はなかなかロジカルかつリリカルであって、訳していて楽しい。
日本語で書かれたものを仏訳するというのは、その人の「思考の文法」を知る上でたいへん効果的な方法である。
なるほど、カナ姫はこういうふうに「推論」するのか、ということが分かる。(彼女の推論は、「図像的に類似しているものには本質的相同性がひそんでいる」という徹底的に形態学的な思考法に領されている。そういう人だったのか。)

私は日本語で論文を書くときは、つねにそれを英訳、仏訳するときの翻訳者にご苦労をかけないように、欧文的構文を用いて書いている。(だから私の書く物はどれも文が短い。「テクストには通常その『宛先』がある」とか。Un texte a sesdestinataires. ほら、訳すの簡単でしょ?)
別にそんな気づかいをしなくても、私の書く物が欧文訳される可能性なんかないのであるが、これは論理的な文章を書こうと思うときのたいせつな心構えの一つであると私は思う。

しかし、午後二時になってラグビー日本選手権の準決勝が始まってしまったので、ロメールの世界とはお別れ。
サントリー対トヨタ、神鋼対クボタの二試合をTV観戦。
トヨタはいい試合をしていたが、惜敗。
サントリーの100キロのナンバー8、斉藤くんの活躍が際だっていた。すごいぞ、彼は。来年の『筋肉番付』に出ないかな)。フォワードらしく愚直に進むかと思うと、スクラムハーフのように狡猾なプレーをする。まだ24歳。まちがいなく21世紀の日本代表の要のプレイヤーになるだろう。
神鋼の試合は大畑大介くんの目の醒めるような四連続トライで、社会人決勝のフラストレーションが一掃された。しかし、SOミラーを欠くと連続攻撃の精密さと意外性がいつもの神鋼ではない。サントリーとの決勝にミラー、元木は間に合うのか。ああ心配。

ラグビーが終わったころお友だちが遊びに来たので、いっしょにご飯を食べに神戸北野の「グリルみやこ」に出かける。ジャック・メイヨールの橘さんのオススメのキッチンである。
そこで「橘さんはいつも何頼むんですか?」と訊ねる。
茄子のマリネとタンシチューとハンバーグというのがお店の方のお答えであったので、さっそくそれを注文する。
美味しい。
美味しい物には、一口食べて「おおお」とうなる料理と、一口食べて「にっこり」する料理があるが、グリルみやこの味は後者である。
すっかり満足して、坂をのぼってジャック・メイヨールへ。
美味しい白ワインを啜りつつ、神戸の夜景を見下ろしながら、橘さんと清談。
ラグビー&ご飯&ワイン。
ひさしぶりにのんびりした日曜だった。