1月15日

2002-01-15 mardi

一般入試の出願が始まった。
出足はあまりよくない。あまりよくないというか「すごくよくない」。
どの大学も同じだろうけれど、毎年着実に志願者が減少している。
18歳人口が激減しているのだから、当然である。
今年度の18歳人口は151万人。大学入学志願者がいちばん多かった1992年は205万人だから、10年間で54万人、26%減少した勘定になる。
すごい減り方だ。
去年、2001年の出生数は117万人。彼らが18歳のとき、2020年の志願者数は(進学率が今のまま推移するとすると)1992年の57%にしかならない。
文部省試算では、2009年に大学・短大志願者数と入学者数が71万人で一致し、ここに「大学全入時代」が到来すると予測されている。
もちろん、一流校には今後も進学志望者が集まって高い倍率を維持するはずだから、私立の大学・短大は2009年を待たず、どんどん定員割れが始まり、「下から」順番に潰れてゆくことになる。国公立の統廃合もますます加速するだろう。
学生の絶対数が減っているのに、大学の絶対数が減っていない。
だから、それを調整するために大学が潰れる。
市場原理からすれば、当たり前のことだ。
ただ、そう冷たく言わなくてもいいんじゃないかと思う。
市場は「大学生の総数を減らす」ことを求めているのであって、別に「大学の総数を減らす」ことを求めているわけではない。
全国の大学が人口減の比率にあわせて、歩調を合わせてスライド式に学生定員を減らしていけば、大学数は変わらず、一大学当たりの学生数だけが減る。
この選択肢が大学の社会的使命を考えると、日本の大学に残されたオプションの中ではベストのものだと私は思う。
一大学当たりの学生数が減ると、とりあえず学生一人当たりの教室面積も、一人当たりの図書冊数も、一人当たりのコンピュータ台数もすべて増える。これは教育環境は改善される。
「駅弁大学」などと悪口を言われたこともあるが、地方の大学が、地域の知的センターとして、地域の活性化を期待されて設立されたという歴史的事情も忘れてはならないと思う。
過疎地のように、地方の大学がどんどん潰れてゆき、大都市にだけ学術センターが集中するというのは、けっしてよいことではない。なくしてしまうよりは、大学の規模を縮小しても、教育研究活動を継続する方が地域社会にとっては有用である。
学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさないほうがいい。
私はそういうふうに考える。
となると、方法は一つしかない。
そう、大学のダウンサイジングである。
それこそ大学が生き残るための合理的な唯一の選択肢である。私はそう思っている。
私が以前より力説しているのは、とにかく本学の入学定員を減らすということである。
現在本学の一学年の定員は517人。財政上の理由から、この約1.3倍の650人を受け容れている。
650というのは、1992年の、大学入学者希望数が史上最大であったときの数値を基準にした入学者数である。「大学志願者」という分母が縮んでいるのだから、同質の教育水準を維持し、同質の卒業生を送り出そうと望むなら、単純計算でも分母が縮んだのと同じ比率で本学の入学者もまた26%減になっていないといけない。
650x74% = 481人
これが、2002年度の入学者の「適正数」である。
2020年には1992年の 57% にまで18歳人口は減少しているから、単純計算で
650x57% = 371人
つまりあと18年で、いまの学生数の半分程度まで減らすというのが「理想」なのである。
単に財政上の理由から、このまま650人をとり続けるということは、具体的には、教育達成目標をどんどんと下方修正して、ほんらいなら高等教育を受けるだけの知的資質を欠いた学生たちを受け入れてゆく、ということを意味している。
それは大学の社会的使命を忘れて、最後には市場の淘汰圧に押し流されて、125年の歴史の晩節を汚すような行き方だと私は思う。
むしろ、粛々とダウンサイジングを敢行して、「小さいけれど、クオリティの高い教育を続けている学校」という本来の女学院の教育機関としての「反時代的」ポジションを守り抜くことを私は提案しているのである。
学生定員を段階的に減員してゆき、数年以内に、入学者者数を517という定員にまで引き下げる。それでも18歳人口の減少率には追いつかない。
だから、定員そのものの減員が必要になる。
まだ定員そのものを一気に減員するという改革に踏み切っている大学はない。(なぜ思いつかないのか不思議である。)
定員が減れば、当たり前だけれど、本学に入るのは難しくなる。難しくなれば、モチヴェーションの高い学生しか来なくなる。モチヴェーションの高い学生が相手なら、教育してクオリティを上げるのは簡単である。クオリティの高い卒業生を輩出すれば、大学の教育機関としての声望は高まる。
簡単なロジックだ。
問題は学生納付金が減るということである。
インフラの整備や、教育サービスや研究のレヴェルは落とせない。削れるのは人件費だけである。
人件費を学生納付金の減少に応じて削ってゆくほかないだろう。給与のカットも必要だろうし、人員も減らすしかないだろう。
それは仕方がない。
教職員に給料を払うために大学はあるんじゃないからだ。
学生を教育するためにある。
学生の学ぶ機会をどのように確保するか、ということをなによりも優先的に考えるべきだろう。
手弁当でもこの大学で優秀な学生を相手に、本気の教育をしたいという人間だけが残ればいい。
125年前に最初に神戸に来た二人のミッショナリーが「何をしようとして」この学校を作ったのか、その原点に立ち返って考える時期だと私は思う。