1月14日

2002-01-14 lundi

ベルギーの「カナ姫」から電話がある。
姫のお電話はだいたい「三太夫」への用事のお言いつけである。
今回のお言いつけは、「政府給費留学生の申請書類に必要なので、卒論をフランス語に訳してただちにベルギーへ送るように」というお仕事である。

「だって、ワタクシ、学業に忙しくて、そんなことしている暇ないんですもの」

おいらだってべつに暇ではないのだよ。
しかし、このあたりのネゴは所詮、人間的風格の差があって勝負にならない。

「ふふふ、先生、恩に着ますわ。このご恩、一生忘れませんわ。老後のお世話をしてもよろしくてよ。ほほほほほ」

あんたは竜崎麗香か。
そう言えば、カナ姫が在学中、最初に私に言いつけた用事は、ブザンソンの「バトー・ムシュ」のガイドの金髪兄ちゃんへの付け文の仏訳であった。
私はそのとき「あなたを一目見たその日から、恋の虜になりました」みたいな文章をフランス語にしてあげたのである。
ゼミの指導教員にそんなことを頼むゼミ生がいるだろうか。
大物だったな、昔から。

学生から次々とメールで卒論のファイナルが届く。
メールで細かくチェックを入れるシステムを導入してから、論文のクオリティは眼に見えて向上した。みんな、すごく面白い。
論文は2月になったら、ホームページ上で公開しますから、読んであげて下さい。

総文で叢書を出すことになった。
神戸女学院大学の総文の知名度を上げるのと、教員のアクティヴィティを刺激するのが目的である。
責任者はナバちゃん。私も言い出しっぺなので委員のひとりである。
いろいろと出版企画を考える。
最初に出るのはナバちゃんのアイディアで、『術語集』のようなもの。
教員全員が自分の専門分野での「現代文化のキーワード」をいくつか選んで解説をする、という趣向である。
勢いで私もいくつか企画を出す。
『濫読・夏目漱石』とか『おはなし・精神分析』とか『サルにも分かるナラトロジー』など。
企画したら書かないといけない。墓穴を掘っている。

甲野善紀先生のホームページの「随感録」に『ためらいの倫理学』のご感想が書かれていた。
面白く読んで頂けたようで、うれしい。
『縁の森』を読むと分かるけれど、甲野先生はとにかく意外な出会いに恵まれた「出会いの達人」である。どんどんと不思議な「ご縁」が出来て、それがネットワーク化してゆく。
その一方で、そうやってできた「ご縁」に決して拘泥しない。
必要なときに必要な人と出会うように、どこかで天の配剤がなされているというのが甲野先生のお考えのようである。
今回は講習会をきっかけに甲野先生と私のあいだに「ご縁」が出来た。
私にどういう流れの変化をもたらすために、この「ご縁」は到来したのか。
また私は甲野先生に「何を贈るために」出会ったのか。
きっと、あと何年かしたら分かるのだろう。
何だろう、いったい?

ためらいの倫理学