1月1日

2002-01-01 mardi

あけましておめでとうございます。
21世紀も二年目。公私ともに激動の予感がしますが、なんとか無事に切り抜けてゆきたいと思っています。

大晦日は夕刻までパソコンの前で身じろぎもせずに晶文社の「漱石論」を打ち続けていたので、注連飾りも鏡餅も全部忘れてしまった。
元旦の昼から東京に行くので、「おせち」も「お雑煮」もなし。

元旦は起きてコーヒーを飲んで、年賀状を眺めてから、そのまま机に向かって仕事。
「映画論」の続きをばりばり書く。
別に緊急を要する原稿ではないのだが、ラカンを使った「物語論」のアイディアをなんとかかたちにしたくて、手が止まらない。
午後1時まで書き続け、タクシーで駅へ。
あまりに空腹になったので新大阪で「年越しそば」をやり直し。ついでに昼酒を熱燗でいただく。よいねー、元旦の蕎麦屋でひるから燗酒というのは。
新横浜まで爆睡。
1月ぶりに実家に戻る。
父はあけて90歳であるが、このあいだよりずっと元気になっていて、『レヴィナスと愛の現象学』を読み終えるのに苦労したぞと苦笑いをしていた。
話があっちへいったり、こっちへいったりぐるぐる回ってないかと言われたので、ご賢察のとおりでございますと平伏する。
しかし明治生まれの父親が現象学とかタルムードとかあまり日頃ご縁のない論件のものを気合いを入れて読んでくれたかと思うと息子としてはこれほどうれしいことはない。次の本はもっと読みやすいですから、とわびを入れる。
いきおいで、今年は7冊本を出します、と両親に豪語する。
『いきなり始める構造主義』、『映画の構造分析』、『おじさんの系譜学』、『メル友交換日記』の四冊分はほぼ原稿ができあがっている。
レヴィナスの『困難な自由』の全訳改訂版と新曜社の『身体論』はたぶん夏休みに仕上がるはずである。後半まで勢いが持続すれば、講談社の新書版レヴィナス論もいけるかも知れない。少なくとも5冊、いけたら7冊。
鈴木晶先生は年頭に「今年は10冊本を出します」と宣言されるけれど、ウチダはちょっとうちわで7冊にしておく。

多田先生にお電話して明日の日程を確認。
二日は東大気錬会、早大合気道会の諸君とともに先生のお宅へお年賀である。(女学院の諸君も来年はいっしょに行きたいね)
また「天狗舞」をどぼどぼ入れた先生手作りの「鶏のお雑煮」をいただける。(うまいんだな、これが)
お年賀のときに飲むために自分用のワインは年末にちゃんとお歳暮で送ってあるが、それは飲まずに先生秘蔵のイタリアワインをどんどんいただくのである。
東大、早稲田の学生諸君はけっこう遠慮しているのだが、私や坪井さんは「年の功」というものがあるので、がんがんよいワインからのんじゃうのである。
齢知命を越してなお年頭にご挨拶できる老父と老師(これは師を敬う尊称ですからね、間違えないでね)がご健在であるということがどれほど希有なことか、若い皆さんには分からないかもしれないけれど、ほんとうにほんとうにすてきなことなのである。