12月29日

2001-12-29 samedi

やっと年賀状書きが終わった。とりあえず250枚。
クスミ先生は毎年1000枚書くそうだ。去年の年賀状には「いま220枚目。誰だ年賀状なんてもんを発明したやつは」と呪詛の言葉が記してあった。腱鞘炎にならないことをお祈りしたい。
宛名書きはそれほど苦にならないが、一枚ずつに「ネコのマンガ」を描くのがけっこう疲れる。もらった方は分からないであろうが、250枚全部表情とセリフが違うのである。
よく尋ねられるが、あの「ネコ」は1966年に私がトレードマークに採用したもので、私の「自我」の表象である。(私は個人的にはネコにはまるで興味のない、典型的なイヌ派男なのであるが、なぜか自我イメージはネコなのである。)理由は不明。自我表象について「あ、あれはね」と本人がぺらぺら説明できるようであれば、フロイトだって仕事がなくて困るだろう。

さて、今年を回顧して思うのだが、今年のキーワードは「流れ」ということではないかと思う。
今年ほど「流れが来る/来ない」という運気の力を味わったことはない。
私はもともと強運の人で、「流れ」を呼び込む力はけっこうあるのだが、去年のなかばから今年にかけてなんだかたいへんな勢いで「出会いの流れ」に恵まれた。

印象的なのは出版関係のエディターたちとの出会いである。
冬弓舎の内浦さん、講談社の川島さん、新曜社の渦岡さん、晶文社の安藤さん、文春の嶋津さん。どなたも始めて会ったときから(安藤さんとはまだ会ったことがないけど)旧知の人のように気持よいコミュニケーションができた。(せりか書房の船橋さんにレヴィナス論を約束したのは数年前。原稿を一枚も書かずに逃げ回っていたのが鈴木晶先生経由で所在がばれて、ついに今年になってレヴィナス論を書くことになってしまったのであるから、これも最近の「出会い」の一つに数えていいだろう。)

なかでもいちばん印象的だったのは『ミーツ』編集長の江さんの電撃的・怒濤的登場である。
自分の書いたものをこれほど熱心に読んでくれる読者に私はかつて出会ったことがない。(江さんは『レヴィナスと愛の現象学』を電車の中にも昼飯どきにも居酒屋にも携行して、もう三回読んだそうである。著者より読んでいるのではないか。)『ミーツ』新連載の「街場の現代思想」は私とその江さんの「合作」である。
江さんといっしょに電撃的に登場した橘さんの「ジャック・メイヨール」(ご冥福を祈ります-って店が潰れたわけじゃないですけど)は最近「読書バー」と化し、ひとびとはワイングラスを傾けつつフッサールとレヴィナスについて論じているらしい。
神戸もディープな街だ。

武道関係では、多田宏先生のかたわらでずいぶんと長い時間を過ごすことができたことが今年最大の喜びである。(新年会、月例の研修会、五月の神戸女学院合気道会10周年記念演武会、多田塾合宿、自由が丘40周年)
多田先生のそばにいると、ただそれだけのことで、深い安堵と暖かさと確信が私の身体にしみ通ってくる。
「家からいちばん近い道場」に何も考えずに入門したらそこに多田先生がいた、ということは武道に関しての私の運気-「武運」-が例外的に強いということを意味していると私は信じている。
多田先生とごいっしょできたということは、同時に亀井師範、山田師範、窪田師範、坪井師範という敬愛する先輩たちに親しく兄事する機会にも恵まれたということである。多田塾同門の愉快な道友たちとの交流も今年はこれまで以上にこまやかであったし、フランスでブルーノくんのご紹介で新しい合気道の友人たちと知り合えたのも実に愉快な経験だった。

さて、下半期最大の収穫は甲野善紀先生との「ご縁」が出来たことである。
ちょうど去年のいまごろ、私は甲野先生の著書を読み、ビデオを眺めて武道に燃えていたのであるが、そのときは一年後に先生と親しくお話しするようなかかわりができるとは思ってもいなかった。
「強く念じれば必ず実現する」というのは多田先生のお教えであるが、ほんとうにおっしゃるとおりである。甲野先生とのこのご縁が来年以降どういうふうな意外な展開を示すことになるのか、今から楽しみである。

三月に膝を痛めて外科医から「もう運動はダメ」と宣告されたときに、自分の武道家としての人生は終わったと観念したのであるが、そのときに書いたとおり、別に思い残すことはなかった。
「ああ、もっとあれもあれもしておけばよかった」という悔恨はない。
教師として父親としてやるべき仕事をしたあと残された時間のほとんどすべてを武道のために使ってきた。あれ以上やるということは、同時に教師であり父親であろうと望む限り不可能である。
その意味では武道家としての「流れ」も今年は大きく変わった。
その流れが私をどこに運ぶつもりなのか分からないけれど、身を任せて進むほかないと思う。

「流れ」は新たに出会う人を連れてくると同時に、私の身近にいた人々を連れ去ることもある。
この一年あまりのあいだに何人か、親しくしていた人たちとの「ご縁」が切れた。
私から切ったものもあるし、先方から切られたものもあるし、いつしか「切れた」としか言いようがないものもある。
以前であれば、自分や相手のコミュニケーション能力や、価値観の齟齬など持ち出して説明を試みただろうし、場合によっては相手を責めたり、自分の不徳を反省したりしたかもしれない。けれどもこのごろは、「ご縁」が切れるのは、誰が悪いのでもない、それぞれが「違う流れ」に乗ったからだというふうに思うようになってきた。
「流れ」に逆らうことはできない。逆らってもいいけれど、無駄である。
ある人のものの考え方や感じ方に影響を与える要素は無数にある。パーソナルヒストリーの全史-育った家庭、受けた教育、読んだ本、見た映画、聴いた音楽、会った人間たち-からその日の天気や乗った電車の込み具合や隣人の挨拶までが、その人の根源的な自己確認-「私はなにものなのか?」-に関与する。
木の葉に落ちた雨滴が集まって激流となるように、そのようなささやかな要素の総合的効果が人間においても滔々とした「流れ」を形成している。
その人の「流れ」と私の「流れ」が交わるときに「ご縁ができ」、「流れ」の方向が変わって、別々の水路をたどるようになれば「ご縁が切れる」。その「流れ」の方向を変えたのは、実は一滴の雨のしずくの効果かも知れない。(プリゴジーヌのいう「バタフライ効果」だ)。
でも、「一滴の雨のしずくのせいで流れが変わるなんて、理不尽だ」と言っても始まらない。人生は複雑系である。
わずかな入力の変化が劇的な出力の変化を結果することだってある。
「ご縁ができた」ことについて自分の人徳を誇るのがお門違いであるように、「ご縁が切れた」ことについて自分や相手の非を論うのも無駄なことだと私は思う。粛々と受け容れるほかないと思う。

というわけで、年末を迎えて、一年を回顧するウチダはちょっと観想的な気分である。
なにしろ、今年は「父親」として自立する娘を送り出し、「研究者」としてライフワークを刊行し、「武道家」としてのキャリアを実質的に終えたのである。
「人生が終わった」と言って過言ではない。
私は人も知る「イラチ」であるが、何も「人生の幕引き」までこれほど急かなくても、と思う。しかし、これほど気ぜわしく「第一幕」を終えたがるのは、きっと「第二幕」に何か期すところがあるためのであろう。
でも、いったい「次」は何を始めるつもりなんだろう。(本人も分かってない。)