12月26日

2001-12-26 mercredi

納会の翌日は泊まり込み部隊とともに大掃除というのがここ数年の習いである。
今回は四名が大掃除に参加してくれた。
たいして家具のない、しらじらとした家の掃除であり、かつ「これ、どうしましょう?」というような疑念の湧いたすべての物品はただちに「捨てる」というのがわが家の管理上の大原則であるので、掃除というよりは「ゴミ捨て」である。
このような方針で過去10年ほどお掃除をしてきているので、年々目に見えて家財が減ってきて、空間が拡がってくる。
「去年一年一度も使用しなかったもの」は洋服でも何でも今後とも使用される確率が低いので、ためらわず捨てる。
必要になったら、そのときにまた買えばよろしい。
捨てたものを後から「捨てなければよかった」と思ったことはこの10年のあいだに2回くらいしかない。それも私が必要になったのではなく、誰かに「***持ってません?」と聞かれて、「あ、捨てちゃった」と答えて残念がられた、という場合だけである。

コンピュータもハードディスクのデータごと捨てる。
1987年にワープロを使いだしてから、のべ6台のワープロ、パソコンを捨てたが、そのどれについてもデータのバックアップを取っていない。
あれこれの学術データなんか使うときに使わなければどうせ使わないのである。
あとから必要になりそうなデータは論文にちゃんと引用してあるから、それを見れば分かる。

ハードディスクごと私は「過去」を捨てる。
「過去を振り返らない」というのが私の主義である。
だって、振り返った場合の「過去」というのは、あらかた本人の「作り話」なんだから。そんなものを後生大事に取っておいても仕方がない。そんな「決定版・私の過去」なんてものが確定していたら、この先「過去について作り話をする」楽しみが減るだけじゃないですか。

私はひとに自分の過去について聞かれるたびに「違う話」をする。
だって、いまの自分と整合させようと思ったら、0歳からの記憶をぜんぶ書き替えないと「つじつま」が合わないでしょ。
私は「記憶をぜんぶ書き替える」というのが大好きである。
そのためにはハードディスクのデータなんて邪魔なだけである。
Don't look back but make up a story.