12月16日

2001-12-16 dimanche

谷口なをさんと長井博之さんの結婚披露パーティが三宮の東天紅である。
谷口さんは女学院合気道会の第一号会員であり、つまり神戸におけるウチダの「のれん分け」の最初のお弟子さまである。
すべてはここから始まったのである。
あれから十年、ウチダの鬢にも白髪が目立つようになり、私が手塩にかけたお弟子さまたちもみなそれぞれ立派に一家を構えられ、披露宴の会場のなかば近くを合気道会の諸君が埋めるまでになった21世紀の最初の年に、私がもっとも愛したお弟子さまの一人が嫁がれたのである。
鳥なき老師の目に涙である。
谷口さんは中学生のときに根をつめてバスケットの練習をしたせいで身体を壊し、医師から激しい運動を禁じられて十代を過ごされたのであるが、ウチダのセールストークを信じて、1990年の冬の一日、わが研究室の扉を叩いたのである。

「私のような身体の弱いものでも合気道はできますでしょうか?」

触れれば折れそうな細身の少女の澄んだ眼に見つめられて、ウチダは(つねのごとく)間髪を容れずに答えた。

「お箸とお茶碗をもつ体力があれば、合気道はできます。」

もちろんそんなのは嘘なのであるが、ウチダは感動してしまったのである。
この少女が愉快に稽古でき、自在に使いこなせるような合気道を教えることができなければ、多田先生に就いて学んだ甲斐がない。
いわばこの出会いの時に神戸女学院合気道会のコンセプトは定まったのである。
合気道は人の持つポテンシャルを最大限引き出し、その人のかけがえのない人生をいささかでも豊かにするためにあるのだ、と。
強弱勝敗を論ぜず。
目指すのはひとりひとりの蔵する無限の可能性の開花である。

爾来十年余。谷口さんはすっかり健康を回復され、二段を允可され、その端正で術理にかなった美しい動きで後進の範となった。
そして同じ合気道会の後輩、五代主将鎌田ゆかりさんの紹介で出会った長井さんというすばらしい伴侶を得たのである。
手前味噌を承知で言えば、谷口さんは合気道を通じて健康と友情と伴侶を得たのである。
老師が涙する理由も分かろうというものである。

ひさしぶりに合気道会の新旧部員たちが一堂に会した。初代主将田口さん(札幌から)。谷口さんの「ボディガード」役のつもりで合気道をはじめて、「あくび指南」ではないが、谷口さん以上にはまってしまった神原さん。三代主将のエビちゃんと同期のケーヨちゃん。四代主将の浦西くん。司会ごくろうさんイギリス帰りの田岡さん。ひさしぶりだぜマッキー下浦。そして現役部員がぞろぞろいるなかで、最後に花嫁のブーケを受け取って次の花嫁候補となったのは現主将のヤベッチであった。

それにしても気持ちのよい披露宴であった。集ったすべての人々が新郎新婦を愛し、その幸福を祝していた。
ご多幸をお祈りします。

披露宴のあとそのまま小走りに家に戻って、荷造りをして名古屋へ。
駅で葉柳君と会って、とりあえず久闊を叙しつつご一献。
ご一献がご三献くらいになったところで、明日もあるので宿舎の名古屋大学構内へ。
グリーンサロン東山という宿舎なのであるが、構内なので場所がわからない。二人でうろうろしてようやく発見。でも無人の上、もらった鍵で玄関があかない。
裏口をこじあけようとしていたら、職員がでてきて、入り口は反対側だよと教えてもらう。
入って見たらホテル以上の豪華さ。
大きいデスクがあって仕事ができる。
これはありがたい。
まだ5日分しゃべるほどののネタがないので、ここに明日明後日とこもって授業のノート作りをしないといけない。(参考書を4冊も持ち込んでいる。泥縄もいいとこ)
いまから一週間ひたすら学者らしくしないといけない。
大変だけど、久しぶりに女学院の学生以外の若い人と話す機会がもてるのは楽しみなことである。