12月12日

2001-12-12 mercredi

12のぞろ目の日は久保山裕司くんの命日である。
1996年の12月12日に久保山くんは長い闘病生活のあと、癌で亡くなった。
久保山くんは私が大学生のときにいちばん影響を受けた友人である。
生粋の「街の子」の洒落っ気と「田園の子」のナチュラルさを備えた、ほんとうにチャーミングな少年だった。
久保山くんにはいろいろなことを教わった。
かっこつけなきゃ男じゃないというやせ我慢の美学も、好きな女に振られたら手放しで号泣する真率も、お酒の飲み方も煙草の吸い方も本の読み方もバイクの乗り方もキャンプでの火の多起こし方も、私は久保山くんに教わった。
彼に「*** に決まってるじゃないか」と断定されると、私はいつも「あ、そうか、そういうものなのか」と何の反論もできずにその言葉に従った。
私がそれほど素直になれた相手はあとにもさきにも久保山くんしかいない。
『ミーツ』から原稿を頼まれたときに、なんとなく第一回に久保山くんのことを書きたくなった。
1975年ごろ、たぶん久保山くんの結婚式の打ち合わせかなんかで銀座で待ち合わせをしたとき(私は彼の結婚式の司会をしたのである)、私が汚い格好で銀座四丁目の角の地べたにすわっていたら、久保山くんの婚約者だったみーちゃんに見とがめられて「ウチダくん、みっともないから、やめて」と叱られたことを思い出したので、その話を書いた。
そのときの初夏の銀座の青空の色も、みーちゃんのはじけるような笑顔も、久保山くんのすました顔も、尻の下の銀座の舗道のひんやりした感触も、みんな覚えている。
私は死ぬことをあまり恐ろしいと思わないが、それは「死んだら、また向こうで久保山と遊べるな」と思っているからである。
生き残った人間にそういうふうに思わせてくれる死者なんてそんなにいない。