12月10日

2001-12-10 lundi

快晴。午前中はお掃除、お洗濯、お買い物。
映画論をばりばり書いていたら、文春新書からS津さんという編集者がやってきたので御影でお迎えする。
昼下がりの静かなティールームで中年男が差し向かいで、仕事の話をしながら「タルト・オ・フリュイ」だの「スフレ・オ・フロマージュ」だの啄んでいるというのはなかなか心温まる風景である。

出版界はいま「新書戦争」の渦中にある。
それまでの岩波・講談社・中公の「ご三家」の牙城に後発の出版社が殴り込みをかけ、いま新書は書店の限られた書棚スペースを競う「戦国時代」となっているのである。(このへんの情報はゼミの木下君の卒論『書店考』で知っているので、S津さんのご説明にも余裕のあいづちをうって「業界通」ぶってみせる。ふふ、木下くん、情報提供ありがとう。)
文春は後発ながら健闘して、いまは「新御三家」の一角を担っているそうである。
新書の出版点数は短期間に3倍に増えた。
とにかく新刊を出し続けなければ、書店の書棚の隅に追いやられ、売れない→絶版になる→点数が減る→隅に追いやられる→売れないという恐怖の「絶版スパイラル」に巻き込まれてしまうのである。
とにかく「タマ」が欲しい、というのが出版サイドの本音である。

「タマなら、おまっせ。ちいと、たこおつきまっけどな」
「ウチダはん、そんな人の足元みんといて下さい」
「わてもミカゲのウチダいわれとる男です。おたくはんで買わんのでしたら、タマ欲しいゆうとこはほかにいくらもおますによってな」

的なビジネス・トークが交わされ、「ありもの」の、それも紀要に出そうと思って書いた原稿を新書戦争の物資不足につけこんで高額で売りつけようというのであるから、まったくあこぎなアキナイでするウチダである。
しかし、これで二十歳のころから待望久しい『いきなり始める現代思想』(@竹信悦夫)が日の眼を見ることになるかもしれない。
刮目して待て。