「甲野先生効果」で爆睡。9時間眠ってぱっちり目が醒めたら快晴。
昨日一昨日と、ほんとうは心配ごとがあって、ふだんであれば、気が塞いでどうしようもない状態のはずだったけれど、甲野先生のそばにいたおかげで頭はクリアーであった。
その「心配ごと」が解決しないまま、とりあえず湊川神社に観世会の能を見に行く。
家元の『松浦左用姫』と『安達原』。
最初はあまり観能する気分ではなかったけれど、『安達原』で祐慶阿闍梨が数珠を揉みながら鬼を祈り伏せるのを見ながら、昔の人は「こういう問題」の処理について、実に豊かな経験的な方法を知っていたのだと、なんとなく羨ましくなる。
寒空の中をバイクを飛ばして帰ってきたら、とりあえず心配事の第一番目はクリアーしたという連絡が入った。しかし危険な状態は続いているらしい。
東京での出来事であるので、行ってなんとかしたいけれど、ままならない。
以前にも何度か経験したが、あるきっかけで「回路が開く」ことがある。
非常にテンションが上がって開く場合もあるし(今回はこのケース)、逆に体力精神力が弱っているときに精神的なバリアーが低くなって「魑魅魍魎」が精神回路に雪崩れ込んでくる場合もある。
「ピンチ」というのは細かい不調の累積であるから、劇的に治す方法はない。
そのような危機を構成した要素のひとつひとつを「潰して」ゆくしか解決法はない。
そして、こんがらがった紐をほどくときに、結び目の一つがほどけるど、あとの結び目がすらすらとほどけるように、ひとつ解決できると、あとは流れるように解決する、というのが「ピンチ」の構造である。
それを一気に解決しようとすると、結局紐がよけいこんがらがったり、カッターで切ってしまったりすることになる。
甲野先生は二日間都合四回私の研究室で着替えと荷ほどき荷造りをした。その様子を眺めていて、先生が「こんがらがったもの」をどういうふうに処理するのかの手際を見せて頂いた。
先生が実に丁寧に「結び目」を処理するのが印象的だった。
すこしからまると、必ず「分岐点」まで戻る。
そして、いちばん処理しやすい結節点を見つけて、そこをクリアーしてからゆっくり次の段階に進んで行く。
達人というのはこういうふうに問題を処理してゆくのだということを目の当たりに学ぶことができた。
おそらくこれがあらゆる危機管理の基本なのだと思う。
「急がば回れ。」
(2001-12-09 00:00)