12月8日

2001-12-08 samedi

早起きして、甲野先生を竹園ホテルまで迎えに行く。
昨日の話でいちばん面白かった「天運と税金」の話を続ける。
これは天運の強い人は、その分とんでもない税金を払うことになるという「ゼロサム」のお話。
武道史上に名を残すような超常的な身体能力の持ち主はほとんど例外なく、信じられないほどの不幸を経験するというお話である。主に、それは「愛する人を失う」というかたちで現れる。
先生がご紹介下さったのは、徳川家康の家臣の本多某とワイアット・アープと梅路見鸞のお話。

本多さんは、57回戦場で戦い「身に微傷だに負わず」というスーパー天運のひとであったが、ある日小刀で果物の皮を剥いているときに指を切り「わが天命尽きたり」と言ってそのしばらくあとに亡くなったそうである。(「税金」については不詳)
ワイアット・アープは生涯に数十回の銃撃戦を経験し、何度も狙撃されたが、ついに一度も弾丸に当たらなかった。(その代わり兄弟全員が殺された。)
梅路師は天才的な弓術家であったが、三回結婚し三回妻と死別した。
その他多くの「天運」の持ち主は、その代価として、一人の人間の身の上にこれほどまでの不幸が、と思われるような悲しみを経験した。

というのが甲野先生のお話。
「天運」が大きいと「税金」も高い。
じゃあ、運を縮めて、税額を下げればいいか、というと、なんだかそれもせこい生き方である。

甲野先生のお薦めは、「まめに税金を払う」ということであった。
つまり、運気が向いて、よいことが起こったら、その利得をすぐに他の人にわかち与えて、天運が伴う悪運を祓うのである。(もちろん順番は逆でもいい。自分の持っているよきものを他人に与えた人は、それによって運気を呼び込めるのである。『Pay it forward』というのはそういえば、そんな話だった。))
だから、先生のお弟子さんの白石さんが医大の入試の前日に自転車を盗まれたとき、白石さんは「しめた! これで合格間違いなし」と喜んだそうである。(現に合格した。)
これは自分の身に立て続けにアンラッキーなことが起こって、滅入っている人にとっては、発想を一気に切り替える非常に賢明な方法である。
不運な出来事を「予定納税」と考えて、「おお、これで来年度は莫大な所得があるぞ」と期待して喜べばよいのである。
なんと前向きな思考法であろう。

実は私も1970年ごろ「アンブレイカブル」少年であった。
機動隊との衝突を十数回経験して、周囲が頭蓋骨陥没とか下半身不随とか片眼失明とかいう中で、微傷だに負わなかった。それこそ突き指一つせずバンドエイド一枚貼らなかった。
「私は絶対に怪我をしない」ということが確信されたのは6月の総理官邸前の座り込みのときのこと。機動隊が「総員検挙」の指令とともにジュラルミン楯の打ち下ろしが始まり、いきなり血しぶきが飛び交ったとき、私は座り込んで両手を両隣の人と組んでいて身動きならない状態だった。
「げげ、これはまずい」と思っていたら、機動隊員が頭上高く楯を振り上げてまさに私の頭上に振り下ろさんとしていたそのとき、パニックになった私の右隣の学生が逃れようと立ち上がり、いきなり転んで私の頭上に覆い被さった。つまり結果的に「人間の楯」となって彼は私をかばってくれたのである。その彼の首筋に「ガツン」と楯が振り下ろされた。機動隊の波が去ったあと、後頭部から大量に出血して意識不明のその学生を背負って霞ヶ関の街をさまよってようやく救急車を見つけて、隊員に彼を託して溜池方面に逃走した。私の身代わりに傷ついた彼がその後どうなったかは知らない。
私の「天運」が他人の犠牲の上に成り立っていることを私はそのとき知ったのである。

そんな話を甲野先生としながら大学へ。
今日は10時から5時まで稽古会。合気道会と杖道会のジョイント企画である。
体操も挨拶もなく、いきなり稽古が始まる。
とにかく愉しい一日であった。達人に技をかけられて崩され固められるときの快感というのは言いしれぬものである。昔は多田先生によく技をかけて頂いたが、最近はめったに多田先生に投げてもらう機会がない。そのフラストレーションを甲野先生に存分に技をかけて頂いて久しぶりに解消することができた。背中がばきばき言って肩胛骨がぐりぐり延びて、稽古が終わって数時間経ついまも身体がほこほこしてたいへんに気持がよろしい。
甲野先生はほんとうに物惜しみせずにこれまでビデオでしか見ることのできなかったさまざまな秘術をご披露して下さった。ふつうはお供のお弟子さんが受けをとるのだが、甲野先生は私たち全員を相手に技を試みる。固い者、柔らかい者、粘る者、腰砕けの者、感応のよい者、悪い者・・・その全員の体感の違いによる技の変化を甲野先生は楽しまれているようであった。
今回は合気道会のものが多かったために体術が中心の稽古となったが、おかげで私としては実に多くの発見があった。来週からの合気道の稽古で今日のアイディアをどうやって稽古メニューに採り入れるか、いまからあれこれ考えて楽しんでいる。
最後に手裏剣の稽古をたっぷりやって7時間近くに及んだ稽古が終了した。
甲野先生は最初から最後まで動きっぱなし。ほとんど休まれない。こちらが「あの技をもう一度」とお願いすると気軽にやって下さるし、「先生、背中を見せて下さい」とお願いすれば、上半身裸になって技をかけて骨と筋肉の微細な運動を見せてくれる。
そして最初から最後まで、いつも微笑みを絶やさない。
厳しい稽古なのだが、ウッキーやカナピョンやヤベッチのリアクションが面白くて、体育館がどよめくような爆笑が何度も繰り返された。
実に有意義かつ愉快な稽古だった。
最後にお見送りするときに甲野先生は「また呼んで下さい」とおっしゃって下さった。
これからぜひ毎年定期的に稽古に来て頂こうと思う。次回までにはぜひ手裏剣をマスターして、ちゃんと畳に打ち込めるようになった姿を先生にお見せしたい。

実に貴重で豊かな二日間だった。
今年は五月に10周年で多田先生はじめ窪田師範、坪井師範に来て頂き、年末には甲野先生をキャンパスにお迎えできた。多田塾合宿の参加者もこれまでになく多く、合気道会としては、実に充実した一年だったと思う。
奇妙なもので、膝を痛めて「武道家生命の終わりの始まり」であった今年が、組織的にはこれまででもっとも実り豊かな一年だったことになる。
なるほど、ちゃんとゼロサムで計算は合ってるんだ。