11月27日

2001-11-27 mardi

重度のマニュアル失読症であり、かつ重度のメカ音痴であるにもかかわらず、新しいメカに弱いウチダは、先日新聞の折り込み広告で見た PDA の「シグマリオン II」に一目惚れして、いきなり購入してしまった。
購入に際して、パソコン屋のお兄ちゃんに電話して「PDAって何です?」と聞くところからとりあえず始めたのであるが、先方も要領を得ない。
「両手でワードで文書が打てて、その原稿を出先からメールを送ったりできる小さいモバイル?」と尋ねたら、たぶんそういうものだろうと答えてくれた。
だとすれば、それこそまさに私が欲している当のものである。

いま私は「寸暇を惜しんで」原稿を書いている。
なにしろ、私には「寸暇」というかたちでしか自由時間が与えられないのである。
トイレの中とか駅のホームとか歯医者の待合室とか信号待ちの車の中とか長い会議のあいだとかにかすめとった「寸暇」を寄せ集めてかろうじて私の研究活動は成立しているのである。
しかるに、そのたびにごついノートパソコンを取り出しているわけにはゆかない。
しかしいまや私はパソコンなしには思考することも執筆することもできない「重度PC依存症」になっている。
かくして PDA(って何の略なの、ところで?)の購入に踏み切ったのである。
もしこれが私の願い通りに、インターネットに接続でき、原稿をばりばり打てて、信号待ちの車の中からメールを送れる機械であるのなら、私の動員しうるすべての「寸暇」は研究活動、執筆活動に統合されるであろう。

しかし当然にも私の手元に届けられたシグマリオン II は例によってどこにも繋がらなかった。
製品を持ち込んだ営業のお兄ちゃんは「いや・・・私もこの機種ははじめてで・・・」とつぶやきつつ、厚さ10センチほどのマニュアルを私に託して、ずるずるとドアのかなたに消えていった。
そうして、私は「小さいワープロ」(でもそこで作った原稿はFDにも落とせないし、印字もできないし、メールでも送れない)とふたりきりで取り残されたのである。
いいだろう。
これまでもそうやって私はおのれのコンピュータリテラシーを顧みず、無謀にもさまざまな新鋭機器に挑戦してきた。で、結局、なんとか使いこなして来たのである。
(押入の奥で眠っているリブレットとかは別にして)
シグマリオン II もいずれ私の足下にひれ伏し、私の「手帖」と化すときが来るであろう。メイビー。

「自分が苦手なものに激しく惹き付けられる」のは私の気質の奥深くに根をおろした本質的傾向である。
この傾向に私の悟性は抵抗することができない。
それを「ウチダくんは、向上心が旺盛なんじゃないの」というふうにやさしく総括してくれる友もいるが、そうではないことは本人がいちばんよく知っている。
これは「向上心」などという明るく建設的なものではない。
だって、「苦手なもの」を相手にするんだから。ただ苦しいだけである。
苦しいことを必死にやると、やがてそれが楽しさに転化するということはたしかにある。
しかし、それは「石の上にも三年」してからである。
石の上の三年間はとっても苦しいのである。お尻が冷たいのである。
にもかかわらず、私は「冷たい石」をみると「その上に三年坐りたい」という欲望で身震いがしてくるのである。
どうしてなのか。
たぶん人間たちすべてにこの傾向は程度の差はあれ備わっているのではないかと思う。

「好きなことをやれよ」

と私は気楽に学生たちに言う。
でも、それが不可能であることを、そう言っている私自身は身にしみて知っている。
「好きじゃないこと」をやらずにはいられない、やらずにはいたたまれない、というような欲望の疼きが私たちの中にはたしかにある。
おそらく欲望がすごく強い人間は「好きなこと」だけでなく、「好きじゃないこと」にまで欲望を感じてしまうのだ。
疲れるのよね、これは。