合気道自由が丘道場40周年記念の稽古会、演武会。
合気道本部道場に同門の諸君たちが一堂に会する。
20周年のときは私は演武会の司会や懇親会の仕切りなんかをしていた。
1981年、私はまだ31歳でまだ二段だった。
歳月の過ぎることの何と早きことか。
道主を迎えた演武会では林佳奈ちゃんと気錬会の中野哲くんに受けをお願いする。
かつての自由が丘の大先輩に立ち混じって、私も「のれん分け」をさせて頂いた身として、自分の「弟子」をつれて多田先生と同門のみなさまの前で拙い演武をご披露する機会を与えて頂いたのである。
ありがたいことである。
よき師よき先輩よき道友に恵まれ、ウチダの合気道人生は本当にハッピーである。
懇親会は三井ビルに移動。200人近くが集まる。
久しぶりに根本匠さんの顔を拝見。
自由が丘時代によく稽古した仲間であるが、いまは衆院議員。小泉首相のメッセージを携えてきた。
聞いてびっくり、小泉さんはなんと自由が丘道場の会員だったのである。
昭和38年の入門というから、私より12年先輩にあたる。
当時ごいっしょだったはずの山田、亀井、窪田先輩に「ご存知でしたか」と尋ねてみたけれど、みなさん「うーん、どんな人だったかね」といささか心もとない。
小泉さんは、どうやらあまり熱心にお稽古されたわけではないようだが、ウチダにすれば道場の大先輩である。
私は人を人とも思わない無作法野郎であるが、合気道の先輩には腰が低い。小泉さんの祝電も形式的なものではなく、道場への敬意の感じられるよいものだったので、ウチダの中における対コイズミ感情は大幅に好転した。
海部元首相は本部道場出身であるが、町道場で首相を出したのは、日本では自由が丘道場が唯一であろう。
根本さんは「改革四銃士」のお一人であり、将来を嘱望されている若手政治家。「50周年のときには大臣になって来賓で来てね」とお願いしておく。
久しぶりの同門のみなさんと美味しいお酒と中華を頂きつつ、わいわい騒ぐ。
「ウチダくん、今日は酒はいくらでもあるよ」というのが昨日お会いした時の多田先生から私への最初のお言葉であった。
「72リットルあるから」
「先生、そんなには呑めません」
そう言われただけあって、実に潤沢な宴会であった。
合気道関係の宴会はとにかく「さっぱり」しており、一通り祝辞があったあとは、もうただ食べて飲んでおしゃべりするだけ。余興もないし祝辞も形式的なものではなく、「身内」によるしみじみとした昔話ばかりである。
さまざまのお土産品をいただいて帰途につく。
聞けば今回の会の原資の一部は、私が道場の会計をしていた時代に貯め込んだ預金を当てたとのこと。別に裏金というほどたいそうなものではなくではなく、月々せこせこと月謝の「あまり」を貯めておいたのに利子がついて、そこそこの額になったのだそうである。そのことで、自由が丘の幹事諸君君に「利殖の才」をほめていただく。
なぜ、同じことが自分ちの家計についてはできないのか不思議である。
二次会は新宿西口の居酒屋。
窪田先輩と亀井先輩が「ウチダくん、ちょっとこっちへおいで」とうれしそうに私を差し招くので、隣に座らせて頂き、たっぷりと説教を拝聴する。
先輩の厳しくそして愛情あふれる「説教」を聞いていると、なんだか「熱いお風呂」にはいっているような爽快感がある。
よき先輩に兄事できること、これまた多田門下であることの得がたい贈り物である。
すっかり愉快になってよろめきつつ相模原の実家に帰る。
今回は家に二泊する予定。
るんちゃんが神戸に来ているあいだ私は東京に来ているのである。
別にそれほど嫌い合っているというのではありませんので、誤解のないように。
今日は散髪しに近所の床屋さんへゆく。
この床屋さんはモロタくんという人で、私とはちょっと因縁がある。
むかし都立大の助手のころに校門のまえに床屋があって昼休みによく散髪に行った。
そのときの担当が修業中のモロタくんで、ふたりでバイクや車の話ばかりしていた。
そのうちに私は神戸に移ることになって、床屋とも縁がなくなった。
何年かして、ある日、実家に戻ってごろごろしているとき、ひまだから散髪に行こうと思い、うちの二軒となりに最近開業したという床屋のドアを押したらモロタくんがいた。
「あれ、先生どうして、ここが・・・」
「モロタくんこそ、どうしてここに・・・」
以来、実家にいるときに暇になるとモロタくんのお店にいって、昔話をしながら散髪をしてもらうのである。
What a small world!
夜、兄ちゃんと甥のユータが来る。
ユータは高校中退のあと大検、とタツル叔父さんと同じボンクラ・コースを順調にたどっている。頭は金髪、身長は186センチもあって、兄ちゃんも私も上から見下ろされる。
さっそく兄ちゃんと二人でひとしきり「説教」大会。
ユータはしおらしくご意見を拝聴している。
どうしても説教は「わしらの若いころはのう」的な話に堕してしまうのであるが、実のところ兄ちゃんも私も18歳時点でのボンクラ度ではユ-タと変わらない。
そのうちに父が「おお、そうだ。みんなそろったところで遺影を撮ろう」と提案して、父の葬儀用に兄ちゃんと私が父と肩を組んでピースサインを出して笑っている写真を撮る。
父は夏に気胸で倒れてから、「年齢相応に老衰して」(@父)だいぶお痩せになった。視覚はよいのだが、聴覚、嗅覚、味覚が鈍くなって、「何を食べてもあまりおいしくないんだよね」ということである。
いま美味しく感じるのは「とうもろこし」と「さつまいも」の二品。
どういう理由なのかは不明。
最近の読書についてお尋ねすると、「どうも最近の日本文学は、よくわからん」とのことであった。
しかたなく、「紅楼夢」と塩野七生さんの本を繰り返し読んでいるそうである。
長生きしていると知り合いがだんだん減ってゆくのがつらいとのお言葉であるが、まあ、そういわずにご長寿を保たれて、末永くボンクラ息子たちの範とならんことを祈念したい。
(2001-11-24 00:00)