大学の情報処理センターのサーバーにハッキング(だかクラッキング)の痕跡があって、LANにつないであるパソコンのプロキシなんたらを設定し直して下さいという指示が来たの。もちろん、私にそのような高等なことができるはずもなく、自然治癒を待っていたのであるが、なかなか治らない。
更新できないままどんどん日記がたまってゆくので、困っていたら、ちょうどお向かいの渡部先生の部屋の電気が点いていたので、ほとほととドアを叩いて「なおして」とお願いする。渡部先生はブレーク研究の英文学者であるが、もとをただせば由緒正しい阪大数学科のご卒業であるので、コンピュータについては私の理解の遠く及ばない境位にお住まいである。
「あ、マックなの? マックのことはよく分かんないんだけど」と言いながら、あっさりと設定を直してくれた。叩頭して深謝する。
私は死ぬほど態度の悪い人間であるが、自分に出来ないことが出来る人には素朴な崇敬の念を抱く点が唯一の救いである。
私のことを自分のことばかりしゃべっている人間だと思っている人も多いようだが、実は私は異業種異専門の人の話を聞くのが三度の飯より好きなのである。
パリにゆく飛行機の中では隣に坐っていた三菱電機の技術者の方に2時間くらい携帯電話業界の今後についてレクチャーをして頂いた。そういうときの私は小学生のような顔をしている。
卒論の面接で三人のゼミ生とおしゃべりをする。尊厳死の話と祇園祭の話とミュージカルの話。いずれも私のぜんぜん知らない話題であるので、たいへんに面白い。
そのあと合気道のお稽古。お弟子さまたちがたくさん来ているのでわいわい騒ぎながら愉快な稽古をする。
家に帰ったら、ファックスで『ミーツ』の江さんからロールペーパー状の原稿チェックが届いている。字数がまだ1000字足りないそうである。さっそくウィスキーの水割りを片手にばりばり直す。なにしろ時給10万円のバイトであるから、ぐふふと含み笑いしながら仕事をする。
晶文社の安藤さんから田口ランディの新刊『根をもつこと、翼をもつこと』を送って貰ったのでさっそく読む。
『コンセント』と『アンテナ』というちょっとヘビーな小説を読んだだけなので、そういうちょっと「グルーミー」な感じの人なのかなと思っていたら、ぜんぜん違っていた。
すごくライトで、それでいて深い。
家族についての考え方も、インターネット・テクストについての考え方も、書くことの愉悦についての考え方も、「本当の私なんていないぞ」という考え方も、すべてに共感する。
なるほど、こういう「フレンドリー」なエクリチュールの持ち主だからこそ、メールマガジンに8万人の読者がいるのかと納得する。
とくに共感したのは、ヴァーチャルな社会的人格を統合する中心にある「本当の私」は「ボケナス」であるのがよい、という議論。
「多重人格障害を統合するとき、中心になる人格というのはボケナスがいいのです」という精神科医の話を聞いて深く納得したランディさんはこう書く。
「そういえば、世に八面六臂の大活躍をしている人はたくさんいるけれど、そういう人ほど『おおらかな人柄』と言われる。おおらかとは言い方を変えれば『ボケ』ということである。活躍している人ほど、お会いするとフツーすぎるくらいフツーの人であり、どっかぬけていてチャーミングだったりする。
ようするに『本当の私はボケナスであるほどいい』という訳で、私は心から安心してしまう。そうだ、私はボケナスでよいのだ。これでいいのだ。アホを恥じることはない。」
同じことを司馬遼太郎は大山巌元帥について書いていたし、ロラン・バルトは東京について書いていた。
中心は空虚である。それは個人の場合も、組織の場合も、都市の場合も同じである。
虚をおのれの中心に据えること、これはヨーロッパ人にはすごく理解しにくい考え方だろう。だからヨーロッパの人はラカンを読んでびっくりするのだ。(ラカンの言ってることって、平たく言えば、要するに「自我の中心にあるのはボケナスである」ということだものね)。
しかし、日本もなんだかすごいことになってるなあ。
というところまで書いたら、甲野善紀先生から電話がかかってきた。
12月の日程をもう一度確認し合って、そのまま甲野先生の最近の「気づき」である「斬り」のお話になる。
私は甲野先生の武術的な気づきの真価を理解できるほどの水準の武道家ではないから、「なんだかすごそうですね」というような寝ぼけた相づちをうつばかりであるが、甲野先生は愉快そうに熱を込めて話してくれる。こちらはそういう話を聞くのは大好きだから、さっき書いたように「小学生のような顔」で目をきらきらさせて話をうかがう。(「目のきらきら」が電話の向こうには見えないのが残念である。)
前にも書いたけれど、自分の術技の進化のプロセスをリアルタイムでレポートするという甲野先生のスタンスに私は深い敬意を抱いているのだが、そのリアルタイムのお話を本で読むのではなく、ご本人から直でお聞きするというのは、分からないなりに、実に光栄というかどきどきする経験である。
そしたら、甲野先生が「田口ランディさんにこの間会って・・・」という話になる。
こういうのをシンクロニシティというのであろうか。
田口ランディって、どんな人なんですか? え? ええええ! えええ! というような展開になる。
甲野先生から「内田先生は話し方が関大の植島啓司先生によく似てますね、間違えそうだ」と言われた。
植島先生とはお会いしたことがないけれど、何となくいつかどこかで出会いそうな予感のする方である。聞けば植島先生は10月10日の朝日カルチャーセンターの講演のときもいらしていたそうである。私より三歳年長で、育ちは私と同じ東京大田区。幼児期の原風景を共有しているとどこか似てくるのだろうか。
電話を終えてから、教えてもらった甲野先生のホームページを見る。
そしたら、先生の日記に私もちょっとだけ登場していた。その部分をコピーさせて頂くことにする。(ふふ、有名人の日記に名前が出るのはうれしいね)
「そして10日。昼過ぎまで寝て、医学生S君に迎えに来てもらい、夕方6時半からの朝日カルチャーセンターの講座へ。
講座には朝日新聞論説委員の石井晃氏や植島啓司先生もみえ、少し元気が出る。しかし、いざ講座が始まると頭がフラついているため、なかなか言葉が出てこない。まあ休んで講座に穴をあけるよりはマシだったかも知れないが、何か戸の向こうで誰かが喋っているような感じだった。来ていただいた方には本当に申し訳なかった。ただ、大変興味深く面白かったと感想を言って下さった方もあったので、慰め八分としても有り難かった。
ところが講座が終ってから、12月に伺う予定の神戸女学院の内田樹先生が挨拶に来て下さり、いくつかの技を体験していただいたのだが、その間に体がフッと楽になり、技を使うということの心身に与える影響の大きさに驚いた。お蔭で私は遠慮して引き上げようかと思っていた打ち上げにも参加出来た。ただし、食欲は殆どなく、この夜も名越氏宅で前夜同様の大汗をかいた。」
思いがけなくも、私は甲野先生の記憶には「ウチダ=手を合わせたら、なんだか気分がよくなった人」としてインプットされたらしい。こういう記憶のされ方はまことにうれしい。
(2001-11-08 00:00)