11月7日

2001-11-07 mercredi

『ミーツ』の「街場の現代思想」の第一回分の原稿を送る。
昨日の朝の大学院の演習でしゃべった話をそのまま原稿に起こしたので、30分で書けてしまった。
授業でしゃべった話を家に帰ってから思い出してホームページに書くようになってから、私の原稿産出量は幾何級数的に増大した。(もっともホームページに書くのは無料の原稿だから何万枚書いても一円にもならない)

聞き手がいるときにしゃべる話と、ひとりでディスプレイを前にして書いているときの話はかなり質が違う。
べつにひとりでいるときは自閉的で、聞き手がいるときは開放的である、というような単純な違いではない。

ひとりで書いているときの方があきらかに「変なこと」を書いている。
たぶん誰にも理解できそうもないような怪しげな考想が頭の中をぐるぐる駆け巡る。
その怪しげな考想(いったい、どこから湧いて来るんだろう?)のシッポをつかまえて、ぐいぐいと手繰り寄せて、「自分がいったい何を考えているのかを知る」というのが、私にとっての「書く」という仕事である。

聞き手がいるときは、それほど怪しい話はしない。
最後の「サゲ」だけは考えてから話しを始めることにしている。
ただ、「サゲ」は決まっているけれど、途中でどんどん脱線する。別の噺に一時的に乗り移ってしまうこともある。(これは「つかみこみ」と言って芸の世界では禁じ手だそうであるが、志ん生はこれが大好き。)

昨日の大学院のテーマは「じべたりあん」。
愉快な話題を振って貰ったので、興に乗ってひとりで30分くらいしゃべり、それを家に帰ってそのまま原稿に起こした。
一回分5万円の原稿が30分で書けた。
比率でいえば時給10万円のバイトである。なんとよいバイトであろうか。
一日8時間仕事があれば、日給80万円。週5日勤務として、月給1600万円である。
一月働けば二年遊んで暮らせる。
残念なのは、月に一回分しか原稿の注文が来ないことである。

オフの日なので、神戸にいっていろいろと用事を片づける。
ひとつは外国送金。
私は卒業生に無利子無担保でお金を貸している。才能への「先行投資」である。これまでに三名の卒業生から借金の申し込みがあった。全員、才能豊かな若者たちであったので、必要なだけお貸しした。
私は収入以下のビンボー生活をしているので、お金をあまり使わない。
だから小銭が貯まる。貯まった小銭の使い道も別に思いつかない。
だからお兄ちゃんや平川くんが「出資しない」と言ってくると、いいよと差し出す。
有利な利回りで資産運用しようなどということを考えていると面倒が多いけれど、「才能への投資」や「友情への投資」はそのこと自体が愉快なことなので、別に失っても惜しくない。
いまのところ学生さんたちへ貸したお金は順調に返還されている。
こんなことを書くと、「じゃあ、貸して」とどやどや学生さんが来るんじゃないですか、とご心配の向きもあろうが、そういうことは「ない」と断言できる。
「才能に投資する」以上、融資に際して私は「才能を査定する」。
ご承知のとおり、この種の査定において、私は悪魔のように非情な人間である。
私に「悪いけど、君には貸せない」と言われたら、それはその人には未来がないということを意味している。
生きる希望を失うリスクを冒してもなお私に「査定されたい」と望む人がどれだけいるだろうか?