10月28日

2001-10-28 dimanche

よく眠る。
昨日は午前10時に起きて、ぼやーっとしているうちに合気道の時間になり、お昼から4時まで稽古したり遊んだりして、家に戻ったらもう6時近く。メールをチェックして、ご返事を書いていたら、もう7時。あわててお風呂に入って、ビールを呑んで、ご飯を食べて、映画を見ているうちにまぶたが重くなってきて、ベッドにもぐったのが10時半。ついに一行の原稿も書かず、一頁の本も読まずに貴重な休日が終わってしまった。
そして今朝目が醒めたら、午前10時。

10時就寝10時起床では、一日が12時間しかない。
これで学者と言えるだろうか。
言えない。

その証拠に日仏哲学会から『フランス哲学思想研究』を送ってきたので、それを読むが、むずかしいことがたくさん書いてあって、ほとんど理解できない。
ただし、言い訳をさせていただくと、私の知解能力が低調なのは、そこに書いてあることをちゃんと理解することによって、私の人生が劇的に愉快になるとか、そういうことが期待できないせいもある。
私の知解能力はイタチボリのアキンドのように計算高い。

私が高校生のころにも分からない本はたくさんあった。ニーチェもマルクスもフロイトもよく分からなかった。でも「これがわかると、いいことがありそうだ」という確信はあった。
大学生になってレヴィ=ストロースをはじめて読んだときも、これが分かると「世界の成り立ち方」がいきなり分かるぞという直観があった。
はじめてデリダを読んだときには、この人の語法を習得すると「批評」の必勝法が分かるはずだと確信できた。
レヴィナス先生のものを読んだときは、ほとんど一行とて理解できなかったが、「この人のあとについていこう」と決意した。

理解できないものには、「理解できないけど、どうせ私には関係ないから、どうでもいいもの」と、「理解できないけれど、私にすごく関係がありそうなので、とにかく食らいついてゆきたいもの」の二種類がある。
理解できなくても、「私の人生に関係があるか、ないか」は理解できる。
だから、理解できないし、「私とは関係ないみたい」なものは、どうも読む気になれないのである。

『フランス哲学思想研究』の中では、自分の書いた書評だけはさすがによく理解できた。なかなかよいことが書いてあるので、何度も読み返す。
そしたら書評されている当のSさんからお葉書を頂いた。
「本書で私が目指そうとしたことを(おそらく本人が意識していた以上に)的確に表現して下さった達意の文章に接し、一瞬のとまどいと、つづいて本書をこうした眼で見て下さった読者の存在に心から感謝の念を抱きました」というご過分の言葉が書かれている。これには書いた本人がびっくり。
Sさんが本当は何を目指していたのか、私にはもちろん分からない。分からないから、「こういうことを目指して書かれた本だったとしたら、すてきだろうな」と想像したことを書いたのである。それが「当たり」だったわけである。
佳話である。

書評においては、「その本の蔵しているいちばん豊かな可能性にピンポイントする」というのが私のポリシーである。「いちばん豊かな可能性」をめぐる議論がいちばん生産的だし、いちばん愉快である。
それに「いちばん豊かな可能性」をポイントする読み方は、それなりに大変なのである。
悪口をいうとき、私たちはいくら主観的な論拠から自説を展開しても少しも構わない。もとから相手を説得する気なんかないからだ。
でもほめるときには、ほめた相手が「ああ、分かってくれたんだね」とにっこりするという応接が期待できなければ、まるで空しい。
「おめって、ほんとにセンスねーな」という罵倒は、相手が「自分はすごくセンスがいい」と確信している場合でも十分に罵倒として機能する。
けれども、「おお、旦那、そのジャケットとセーターのカラーコーディネイト、ぐっと秋っぽいでげすな」などという言葉は、「はずした」場合、まったく「ほめ言葉」として機能しない。ただ「あ、センス悪いわ、こいつ」と内心で見下されるだけである。
つまり悪口をいうときより、ほめるときの方がはるかに射程の遠い想像力が要求されるし、対象への適切な理解が求められるのである。
自己陶冶としての「ヨイショ」。
よい言葉である。

私は「ヨイショのウチダ」としてひろく業界では知られているが、この技法を私に授けてくださったのは、教育哲学の碩学、S藤先生である。
先生は不肖ウチダが駆け出しのころ、訳書に「絶賛の手紙」を送ってくれた方である。
その鄭重な文言と漢語まじりの賛辞は若手の研究者に対するものとしてはほとんど異例のもので、私は喜悦のあまり手の舞い足の踏むところを知らなかった。
そして、以後、仕事で苦しいときに遭遇するたびにS藤先生の書を取り出し、「ウチダ先生の天馬空を行く達意の名文に触れ・・・」といった箇所を舐めるように読み返した。
90年代の私の仕事を支えてくれたのは、新刊が出るたびにどんどん「白髪三千丈」的にスケールアップするS藤先生の「ヨイショ」であった。
そして、私自身が他人の仕事を査定するような年回りになったときに、改めてS藤先生の教育的配慮の深さに思い至ったのである。
私のような若造の半端仕事にS藤先生が感激したはずがないのである。
にもかかわらず、「うん、ちょっといいね、この子は。育てようによっては伸びるかも知れない」と思われたときに先生は、「よし、ひとつヨイショで育ててやろう」と決意されたのである。
現に、先生のもくろみ通り、私はすっかり気をよくして、つねに絶賛してくれるS藤先生からの長文の感想文を楽しみに、他の誰にも相手にされない論文や訳書を出し続けてきたのである。
そして、この学恩に報いるべく、やがて私はみずからS藤先生の学統を継ぐ、「ヨイショの教育哲学」の道を進むことになるのである。
佳話である。

学生院生諸君の中はこの一文を読んでウチダの成績査定の客観性について疑惑を抱かれた向きもあろうがが、ご懸念には及ばない。ウチダが「ヨイショ」するのは見込みのありそうな若者だけである。
「えー、私、ウチダ先生に『ヨイショ』されたことなんか、ないよ」
あら、それは残念。