10月29日

2001-10-29 lundi

健康診断で心臓に怪しい波動が発見されたので、精密検査にゆく。
エコーというものをして検査してもらったが、「なんもありませんなあ」ということになる。
やれやれ。
私は健康にぜんぜん配慮していない人間であるが、持病(痛風と高血圧ね。もう年だから)があるので、定期的に内科の検診を受けに行く。そこの先生は非常に細心な方で、眼を皿のようにして、私の血液や尿成分の微妙な変化をチェックし、異常が発見されると、ほとんど「嬉々として」私を専門医に送り込むのである。そんなことを10年も続けている。
おかげで、私は内科的にはかなり整備良好である。

病院のあと、下川先生のところに能のお稽古にゆく。
先生とおしゃべりしているときの話題はほとんどつねに「技芸の伝承」と、「技芸の査定」についてである。
「プロとアマの違い」について、これほど厳密な基準を課す人を私は下川先生の他には多田先生しか知らない。
自分の力量について正確な査定を下し、かつそうやって査定した自分の力量には100%の信頼を置く。それがプロである。
アマチュアというのは、自分の力量を不正確にしか査定できず(ほとんどつねにオーバーレイトし)、かつ自分の力量を信じ切れない人間のことである。
なるほど。
「あなたがたはアマチュアだから、まあ、のんびり楽しんで下さい」と下川先生は静かに笑う。
「あなたがたはアマチュアだから」という言葉に、まったく貶下的なニュアンスがないということは、「プロとアマ」のあいだにはそもそも「比較」が成立する余地がないほどの力の差がある、ということを意味している。
おそらく下川先生の眼に、私は「能楽を趣味でやりたがっている奇妙なサル」というようなものとして映っているのであろう。
不思議なことだが、下川先生のこの問答無用の「差別」は、アマチュアである私に少しも屈辱感を与えるない。それどころか、私を非常に見通しのよい、風通しのよい場所に連れだしてくれるのである。
「なるほど、私はサルだ」という自己認識が私に深い解放感と、さらなる精進へのモチヴェーションをもたらすのである。
それはプロとしての圧倒的な自信をもつ人が私たちに与えてくれる「贈り物」である。