秋晴れ。空が高く、雲が細くたなびいている。
よい季節である。
お洗濯をして、お布団を干して、合気道のお稽古に出かける。
気候がよいので、門人たちがぞろぞろやってくる。わいわい騒ぎながら、学祭の演武会の稽古をしているうちに正午から始めて4時近くになってしまった。
多田塾合宿以来、みんなすっかり合気道好きになってしまった。(もとから好きだったけれど、一層)
稽古が終わって家に帰って、夕ごはんを食べたら猛烈に眠くなってくる。3時間ほど爆睡して、もっそり起き上がって、約束の原稿を一つ書く。
保坂和志の『明け方の猫』という小説の書評である。
私は日本の純文学というものを読まなくなって久しい。
新作がでるたびにきちんと買って読んでいるのは、村上春樹と村上龍と高橋源一郎と橋本治と矢作俊彦の五人だけである。あとのひとのものは読まない。なんだか、むずかしそうだから。
保坂和志というひとは芥川賞や平林たい子賞や谷崎潤一郎賞をもらっている若手ではメジャーな作家みたいだが、私は書評を頼まれるまでその名前を知らなかった。
そういう純文学にまるで無知な人間に書評を頼んでくるメディアの方もなかなか無謀である。しかし本を読んで感想文を書いてお小遣いが頂けるというのは、バイトとしては最高であるから、こちらが無知であろうと先様が無謀であろうとお断わりする筋のものではない。
「明け方見た夢の中で彼は猫になっていた。」
なかなか素敵な書き出しである。
猫になった主人公が散歩しながら、猫の四肢や嗅覚や聴覚の新鮮な経験を記述してゆくところはなかなか楽しい。猫になったら、なんだか気分がよさそうである。
猫が語り手である物語というと漱石の『猫』と大島弓子の『綿の国星』を思い出す。犬だとジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』、ライオンだと手塚治虫の『ジャングル大帝』、ゴキブリだとカフカの『変身』。物語作家はいろいろなものに憑依する。
かりにこれを「憑依文学」と名づける。
憑依文学の元祖は、文学史を繙くとモンテスキューの『ペルシャ人の手紙』だと書いてある。
これはルイ十四世の治下のパリにやってきた二人のペルシャ人が「なんとフランス人は奇態な人々であろう」と驚きあきれて故国の知友に見聞を書き送るという結構の作物である。(ペルシャ人は17世紀のフランス人にとっては「猫」並みの異類だったということである。)
「異類の目線」で自分たちの日常を描写するというところに憑依文学の批評性は存する。
どうして異類の目線での描写が批評性を獲得できるかというと、異類の目線は「すべて」を記述するからである。
フッサールの教えるところによれば、私たちの意識は「何ものかについての意識」である。それを逆から言い換えると、私たちの意識は「その『何ものか』以外のすべてを無視すること」によって成り立っている。
猫とかペルシャ人は私たちが無視しているものを逐条的に記述する。
だからふつうなら「歩く」と書いて済ますところを、「右足を前方に振り出し、踵から着地すると同時に、体軸を前方に傾け、重心を左足から右足に移しつつ左足踵を宙に浮かせ股関節を支点にやや膝関節の屈伸も加えて当該左足を右足のさらに前方肩幅の半分くらいの地点に降り出す。その際、あまり時間を要すると均衡を失して横転することもある、また視線は全方位にとくに焦点化することなく送るが、その際、後方視認に過度に時間を要すると前方の障害物(壁、ドブ、ヤクザ)などに衝突する危険が増大する」というような網羅的な記述となるのである。
異類憑依文学の妙味は、この「私たちがふだん意識していないこと」を細かく記述し、それによって私たちにとっての「自然」が、重層的な「虚構」でしかないことを暴露することに存する。
保坂和志の『明け方の猫』は憑依文学の系列に加えられるべき作品だと私は思うが、やや批評性において淡泊にすぎるという印象が残った。
とはいえ、あるいはこれは私が知らないだけで、保坂には他に『夕暮れの犬』とか『夜更けのアカイエカ』といったシリーズがあって、「本作ではとくに猫の淡泊さとノンシャランスにポイントを置いてみました」というさらにコアな異類文学の一部である可能性もあり、うかつな批評は許されないことである。
もちろん、ほんとの書評にはもっと「ちゃんとしたこと」を書いた。
しかし、私に原稿を頼んでくるメディアは「ちゃんとしたこと」を書いて欲しいのか、「でたらめなこと」を書いて欲しいのか、そのへんの判断がつきかねて困る。
発注に際してはその点を分明にしていただけるとありがたい。
今朝の新聞に「団塊世代の自殺の予防を図れ」という吉川武彦という精神医学者の寄稿があった。いま自殺者は年間3万人を超えているが、その中でも50代前半の団塊の世代の自殺者が急増している。それについて吉川さんはこう書いている。
「団塊の世代は小さいときから競い合いをしたから精神力が強いという見方もあるが、同世代の勝者として会社などに生き残っている場合でも、負けを許されるリーグ戦でしか戦った経験がない。いま戦っているのは、一度も負けが許されない決勝リーグのトーナメントの場だ。負けたときの心の訓練や準備が十分でないのに、トーナメントで精神をすり減らし、疲れ切っている姿が私には見えてしまう。」
これはなかなかよいところを衝いていると思う。
ただし私は意見をいささか異にする。それについて述べる。
私は人も知る「負けず嫌い」である。
私の「負けず嫌い」は常軌を逸したもので、私以上の「負けず嫌い」の人に私は会ったことがない。(お、もう始まったな)
しかし、多くの人が誤解しているので、この機会に明らかにしておきたいことがある。それは、「負けず嫌い」は「負けるのが嫌い」なのであって「勝つのが好き」なわけではない、ということである。
「勝負」というくらいであるから、「勝ったり負けたり」するのが「勝負」である。
ところが私は負けるのが大嫌いなので、「勝ったり負けたり」というような悠長な話にはまるでつきあうことができない。
「負けるかも知れない」と考えただけで、総身肌に粟を生じ、体液がどす黒く沸騰する。
だから、私はできる限り「ゲーム」を遠ざけ、「競争」を辞退し、「ギャンブル」に手を出さないようにしている。(世間の義理で、いやいや「試合」や「競争」に参加させられることがあるが、ろくなことがあったためしがない。)
しかるに、世の中には「勝負」が好きな人がいる。
この人たちは私に言わせれば、負けることがそれほど苦にならない人たちである。あるいはたまに勝つと、そのヨロコビでそれまでの負けの苦しみがチャラになる人たちである。
勝ち抜きのトーナメントに参加する人は1人以外全員負ける。1万人が参加するトーナメントなら9999人は「敗者」になる。
つまり「勝負をする」ということは、確率的には「負けに行く」ということとほとんど同義なのである。(競馬場というところに行けばすぐ分かる。)
「負けるのが大好き」とまではいわなくても「負けるのが平気」で「負け慣れている」人たちだけが勝負に臨む。
オリンピックの開会式なんか見ていると、ここに集ったひとの99%が「負けに来ている」ということを考えただけで頭がくらくらしてくる。そういう人たちがどういう精神構造をもっているのか、私にはうまく想像することができない。
私は競馬というものを30年ほど前に一回だけしたことがある。
一回馬券を勝ったら、当たった。「なんだ、簡単じゃん」と思って次のレースを買ったら今度ははずれた。私は怒り狂って二度と競馬なんかするものかと席を蹴った。そのまま席を蹴ったきりである。
こういうのを「負けず嫌い」というのである。
「負けず嫌い」は勝負をしない。
およそ「負ける」可能性のあるあらゆる機会をシステマティックに回避するのが「真の負けず嫌い」である。それは同時に勝つ可能性のある機会をも回避し続けてきたということである。
別に勝つことなんかどうだっていいのである、私は。
私にとって負けることは塗炭の苦しみだが、勝つことはせいぜい美味しいあんパンを食べた程度の満足しかもたらさない。負けないためにはいかなる努力も惜しまない私であるが、勝つための努力に時間を割くほど暇ではない。
話をもとに戻すけれど、吉川さんが言うように「団塊の世代は小さいときから競い合いに慣れている」というふうに私は思わない。
単に「負け慣れている」にすぎないのだと思う。
「負け慣れた人間」は負けることの意味について省察しない。なぜ負けたのか、どうやったら負けずに済むかを熟慮することもしない。だから「負ける可能性の高い機会」を回避するために知力と体力を総動員する、というようなシステムを構築することもしない。
どんなに負けても、どこかに「セーフティネット」が張ってあると思っている。
だから勝負がだんだんシビアになって、「負ける」ことによって失うものが大きくなり、どこにもセーフティネットがないと知ると、恐怖で呆然自失してしまうのである。
「負け慣れた人間」は一生かけて「負けるための心の準備」に精を出して、「いくら負けても平気な体質」に自己造型してきた果てに、ある日「心の準備」が間に合わないほどのハードな「負け」に遭遇して死ぬのである。
バカだと思う。
吉川さんは団塊の世代に向かって「いまからでも遅くない、負けることに慣れろ」と忠告しているが、私はむしろ「負けることに慣れすぎた」せいで彼らはいま苦しんでいるのだと思う。だからもう手遅れだと思う。気の毒だけど。
(2001-10-20 00:00)