10月9日

2001-10-09 mardi

10月6日から8日まで、恒例の群馬県片品村での多田塾合宿。今年で4回目。
ふだんは時間がなくてあまりできない、集中力を要する「気の錬磨」を中心とした稽古メニューである。
三日間、外界とまったく遮断された状態で、ホテルと道場を往復するだけ。いわば、多田先生の「結界」の中に120人がすっぽり包まれているのである。
そういうふうに書くと、なんだか「自己啓発セミナー」みたいな怪しげなものを想像する人がいるかもしれないけれど、そういうものとは、まったく違う。
多田先生の「コクーン」のなかで、ぬくぬく暖められているうちに、みんな栄養が回ってきて、幼虫から成虫にすくすくと脱皮する、そんな感じである。
稽古では多田先生の導きに従って、全員が軽いトランス状態に入り、身体と魂の「アルタード・ステイツ」を経験する。多田先生の呼吸に合わせて呼吸し、体術や杖では先生の体感を自分のなかで想像的に生き、講話や技の説明を聞いているときは先生の笑いをいっしょに笑っている。
そうやって擬似的に多田先生に同調しているうちに、120人がゆっくりと一つに結ばれてくる。そして最終日の別れのときには、120人全員が親を同じくする大家族のような、親しく懐かしい気分にみたされる。
実際にやっていることは厳しい武術の稽古なのだが、その目的は他人を殺傷するための技術の獲得ではなく、自分の中にゆたかに蔵されている先天的なポテンシャルを解放すると、どれほどの力を私たちは出せるのかということを実感させるためのひとつの「実験」なのである。
私たちは三日間の稽古を通じて、「自分の身体が思うように動かない」というフラストレーションを抱え込むのではなく、自分の身体が蔵しているポテンシャルがどれほど大きく深いかということを学び知る。自分にどれほどの可能性があり、自分の存在にどれほどの必然性があるかということを知る。
だから、稽古が終わったときに、「うまくできなかった」といって哀しげな顔をしている人間はひとりもいない。みんな笑っている。
そして、みんな来たときより自信に満たされ、来たときより優しくなって、それぞれの家とそれぞれの道場に帰ってゆく。
そのような武道は希有である。
武道に限らず、私は多田先生の合気道の他にこのような深い喜びをもたらす技芸の体系のあることを知らない。
このような卓越した教育者に出会えたことをどうやって感謝したらよいのだろう。
いまから26年前,自由が丘道場の扉をおずおずと押し開けたとき、私にむかって丁寧に話しかけてくれた笹本猛さんのフレンドリーな応接がなければ、私は入門していたかどうか分からない。小堀秋さんという愉快で豪快な同輩がいなければ、稽古を続けていたかどうか分からない。
亡き樋浦先輩をはじめ、亀井先輩、山田先輩、窪田先輩、坪井先輩、岡田さん、田村さん、小野寺さん、百瀬さん、清水さん、原くん、北澤さん、高雄くん、工藤くん、ブルーノくん・・・無数の先輩後輩とのつながりのなかにいまの私はあり、そのつながりがなければ、いまの私はない。
多田塾につらなるすべての人々に対して感謝を新たにし、私がこれまで多田先生から学んできたことを一人でも多くの後輩に伝えることで師恩にわずかなりとも報いたいと思う。
合気道はほんとにいいなあ。