9月28日

2001-09-28 vendredi

いろいろな会社からまたぱらぱらとお仕事のオッファーが来る。
もともと八方美人なので、お仕事のオッファーはすぐに「やりますやります」と気楽な返事をしてしまって、あとでゆっくり後悔することになる。

今月にはいってからはLマガジンという関西の情報誌とB芸S秋社からお仕事の打診があった。
情報誌とか雑誌に「新作映画評」というようなものを書かせてくれるのであれば「わんわん」と食いつきそうである。私はいちどでいいから「試写室」というところに「インサイダー面」して入って「よ、山ちゃん、元気? カンヌどうだった?」みたいなことを言ってみたい煩悩の犬なのである。わんわん。
映画のこととか小説のこととかTVのこととかについてよしなしごとを書いてお鳥目がいただけるなんてうれしい仕事は他にない。レヴィナスの翻訳なんか、3年かかっても印税は「おもち代」である。いえ、中根さんべつに少ないって文句言ってるんじゃないんですよ。師匠へのご恩返しでやってる仕事ですから、この上印税もらったらバチが当たりますから。

「じゃ、今年から印税なしということにさせていただきます」
「あ、中根さーん。やだなー。本気にとらないでくださいよ。修辞的誇張ですよ。」

あとは「でたらめ時評」だな。
私の「でたらめ時評」は「前から思っていたことであるが」とか「あまり知られていないことであるが」とかいう前ふりで始まることが多いが、あれはほとんどがその場で思いついたことを書いているのである。
その場で思いついたことを言うとき、なぜか人間は「前からおもってたんだけどさ」というマクラをふるのである。
「おまえのためをおもっていうんだけどさ」で始まる言葉がほとんどの場合いやがらせのために言われるように、「客観的に言えばさ」というのが偏見の隠れ蓑であるように、「わたし的にはー」というマクラのあとには必ず誰でも言いそうな俗見が開陳されるように。
私に「政治評論」とか「社会時評」を書かせようという怖いもの知らずのエディターがどこかにいないものであろうか。

あとはなんだろうな。
あ、そうだ「人生相談」だ。
これは橋本治先生のすばらしいお仕事があるが、私もぜひやってみたい仕事のひとつである。
私は「人間は自分の人生を台無しにする権利がある」という立場をとっているので、どんどん不幸にはまってゆく人々に対して、たいへんに友好的であり、どちらかというと、がけっぷちでためらっている人の背中をやさしく押してあげたいというタイプである。そういう悪意あふれる人生相談というのは、あまり先例がないようなので、一度やってみたいと思う。
ということで関係各方面のみなさまいかがでしょうか。