大学院の秋季入試。
総文は来年度から大学院博士課程が増設されることがほぼ決まっている。ご祝儀で倍率が高くなるかと思ったら、あまり受験者がいない。どういうことであろう。
不況で就職状況が悪いので、大学院進学率が上がると思っていたが、単純にそういうものでもないようだ。
学生たちの進路決定のメカニズムはなかなか複雑で、予測がつきにくい。
戦後についてだけ言えば「社会的適応力がないから、とりあえずモラトリアムで大学院にでも行くか」とういような動機の薄弱な人々が院生の支配的な率を占めていたころ、大学院はたいへんに多様な人材をかかえこんでおり、わけのわからない研究を始める人間が多く、結果的になかなか生産的であった。
逆に、「ぜひ大学院に進学して学問で身を立てたい」という動機のきっちりした院生がふえると、大学院生のクオリティが均質化し、学術的方法も規範順応的になり、結果的に出てくる研究がつまらなくなる。(その結果、大学教員の社会的プレスティージが低下し、その結果、「秀才」が来なくなって、どこの馬の骨とも知れぬ「モラトリアム院生」がふえて、またまた大学院がにぎやかな場となる・・・という循環が繰り返されるのである。)
現在の大学院は研究者育成機関としては、あまり期待できない。(何しろ大学がなくなる時代なんだから)だから、当然、優秀な人は大学院なんか来ない。来るのは、「就職もないし、とりあえずあと何年か学生をやってごろごろしてたい」という態度の悪い人たちばかりである。
私はそういう「態度の悪い学生」をこそ歓迎したいと思っている。理由は上述のとおり。
しかるに、最近の「態度の悪い学生」はみんなSEかフリーターになってしまうらしい。そんなところに人材を集めてどうするのであろうか。まったく困ったものである。
いまからでも遅くはない。「社会性が欠けている点については、ちょっと自信がある」諸君、大学院は君たちを待っておるぞ。春季入試もあるからね。よろしく。
(2001-09-27 00:00)