9月21日

2001-09-21 vendredi

バリ島から帰ってきた。
バリ島では新聞も読まず、TV も見ず。ひたすら「水生昆虫」化して「脳みそじゅるじゅる路線」をひた走っていたので、日本に帰ってたまった新聞をぱらぱら通読してなんとなく気が重い。
どうやら日本はこのテロを奇貨として、自衛隊の海外派兵にはずみをつけたいらしい。
きっと、ニューヨークのテロの報を聞いて「しめた」と小躍りした belliciste もどこかにいただろう。
私は海外派兵にはもちろん反対である。
「そういうことをしない非常識な国」というのが国際社会における日本の「奇妙なポジション」なのである。その奇妙なポジションを日本は戦後 56 年かけてようやく獲得したのである。
「まあ、日本はあーだからさ。あいつは蚊帳の外においといて、こっちだけで話決めようぜ」と欧米列強やロシアや中国が頭の上で談合するのであれば、多少は腹立たしいかも知れないけれど、それはそれで「どーぞご勝手に」でよいではないか。
G8 のなかで「かっこがつかない」ことなんかどうだってよいではないか。
国の「かっこがつかない」ことより、どこかの国の「怨みを買わない」ことのほうがずっと大事だと私は思う。
大義名分を立てて戦争することより、大義名分のない平和にしがみつく方がずっとむずかしい。
それについて、ちょっと古い話をしたい。

1950 年に黒澤明は『羅生門』でベネチア映画祭のグランプリを取った。1953 年に衣笠貞之助は『地獄門』でカンヌ映画祭でグランプリを取った。1958 年に今井正は『純愛物語』でベルリン映画祭監督賞を取った。
日本映画の戦後の復興はこの三大映画祭制覇によって象徴的に記されたことは贅言を要すまい。
さて、敗戦国である日本映画への再評価の動きはこのヨーロッパ三大映画祭を起爆点にして始まったわけであるが、「ベネチア、カンヌ、ベルリン」という三つの都市名を見て、みなさんは何かを連想しないだろうか。
お分かりになったかな?
そう、この三都市は「日本と第二次世界大戦で同盟した国の都市」なのである。
「ベルリンとベネチアはそうだけど、カンヌは違うよ。何いってんだよ。フランスは連合国じゃないか」という人がいるかも知れない。
それは歴史認識がやや甘いと言わねばならない。
というのは、フランスの憲法上正統的な政権は 1945 年5月のナチスドイツ瓦解まで、対独協力のヴィシー政権だったからである。
ドゴールが国外で「フランス共和国臨時政府」を宣言したのは 44 年6月。だから、開戦初期の半年間と戦争最後の三ヶ月を除く全期間、フランスは「日本の同盟国」だったのである。
第二次大戦でフランスの正規軍と日本軍が遭遇する可能性があったは仏領インドシナだが、このときヴィシー政府は日本政府と「インドシナ共同防衛協定」を結んで、インドシナ半島への日本軍の駐留を合法化している。フランスは戦後、ヴィシーに関するあらゆる記憶を隠蔽したために、インドシナ半島への日本軍の進出が(少なくとも国際法上は)「枢軸側の二国による植民地共同支配」であったという事実は忘れさられている。この日仏の「結託」による東アジア支配に危機感を抱いたために、アメリカはやがて日本との敵対を決意することになるのである。

歴史の話はさておき。
私が言いたいのは、血腥い戦争が終わってわずか数年しか経たないうちに、日本映画に栄誉ある賞を贈ったのは、もちろん日本映画のクオリティの高さもあるのだけれど、やはりそれらの映画祭の主催地の人々のうち「近親者を日本人に殺されたので、日本という字を見るだけで怒りで身体がわなわな震える」というようなルサンチマンを抱く人がいなかった、ということが影響しているに違いない、ということである。
仮に「北京映画祭」とか「ソウル映画祭」といったものがあったとして、それらの映画祭で『羅生門』が 1950 年にグランプリを取るというようなことがありえるだろうか?
私はないと思う。
第二次世界大戦でフランスは連合国側として、すなわち日本の敵国として戦争を終えた。しかし、日仏の戦闘は行われなかったために、フランス人の対日感情は深く損なわれることがなかった。
問題は、形式上、国際法上、「敵か味方か」にあるのではない。
その国の軍隊が、別の国へ行って、そこで人を殺すかどうか、というごくごくリアルなことである。
そこで人さえ殺さなければ、たとえ国際法上の敵国であろうとも、憎しみの対象とはならないのである。何世代にもわたるルサンチマンの虜囚になることはないのである。

結論を言う。
私は対テロで日本政府がアメリカ政府を支援するぞと「口だけで言う」ことには賛成である。「金も出すぞ」というのもどうかご勝手に。戦艦を空母の護衛につけるくらいのことは目をつぶってもいい。
しかし、兵士を戦地に送り込むことには絶対に反対である。
「人的貢献」がうるさく言われるのは、「そこで一人でも日本兵が血を流せばアメリカ国民は日本が味方だということを決して忘れないような仕方で記憶する」というふうにみんな考えているからである。
それは逆に言えば「そこで日本兵が一人でも敵国人を殺せば、敵国の国民は日本が敵だということを決して忘れないような仕方で記憶する」ということである。
なぜ、そのことを言わないのか。
おそらく日本政府の偉い人々は日本の自衛官が「死ぬ」だけで、「殺さない」というような理想的局面を夢見ているのであろう。
それならアメリカに「貸し」だけ作れて、アラブ諸国に「借り」はできないから。しかし、そうはいかない。
派兵されれば、「死ぬ」だけでなく、必ず「殺す」ことになる。
日本政府の人々がそこから目をそらそうとしているのは、一度でも一人でもその国の人間を軍事的行動の中で殺せば、日本はその国の全員から、何世代にもわたって、深い憎しみを引き受けることになる、ということへの見通しである。

私は G8 の体面なんかよりも大事なものがあると思う。
国際社会における威信よりもっと大事なものがあると思う。
日本の国際戦略の大義は、国際社会において「蔑み」の対象となっても、「憎しみ」の対象とは決してならないことに存する。私はそう信じる。