テロ事件がアメリカ国民に与えた衝撃はずいぶん深いようである。
鈴木晶先生はこれを「去勢」であると書いていたが、たしかに WTC の崩落はあらわに「去勢」の図像であるし、ペンタゴンへの攻撃は図像的には「レイプ」を連想させる。(なんとなく前から「ペンタゴン」の上空写真が図像的に「いかがわしい」感じがすると思っていたが、あれはアメリカの「ワギナ」だったんだ。)
だとすると、アメリカは精神分析的な仕方で去勢され、レイプされたということになる。
現にフランスでは、事件直後、最重点警備対象となったのはルーブル美術館とエッフェル塔だそうである。
なるほど。
誰でも分かるとおり、図像的にいうと、ルーブル宮はフランスのワギナであり、エッフェル塔はフランスのファロスである。(ルーブル宮は、凱旋門に向けて両足を拡げて横たわっている。ちょうど下腹部に当たるあたりがコンコルド広場であり、そこにはエッフェル塔に次ぐ「パリのファロス」であるコンコルドの石柱が突き刺さっている。)
そこがテロの標的になるのでは、と予測したフランス人の想像力はおそらく的確なものである。(私がテロリストでも、たぶんその二つを狙う。)
死者数や物質的被害も大きいけれど、象徴的なトラウマもまたアメリカ人の今後のメンタリティーに大きな影響を残すだろう。
何度も書いたことだが、アメリカという国は自国領内で他国軍に攻撃されて大きな被害を受けた経験が歴史上二度しかない。(シッティング・ブル率いるスー族にカスター将軍の第七騎兵隊が全滅させられたときと、真珠湾である。)もちろん独立戦争や南北戦争では国内が戦場となったけれど、独立戦争のとき「アメリカはまだ存在しなかった」し、南北戦争は身内同士の Civil War である。
「世界のスーパーパワー」が象徴的に敗北した。
そのことがどういうふうなトラウマを形成し、今後のアメリカ人の国際社会での政策決定にどのような影響を及ぼすことになるのか、私にはうまく予測できない。
ブッシュ大統領はあいかわらず「世界の警察官」としてがんがん行くというマッチョな路線を示しており、気分的にはそういう言葉遣いが支持されるだろうけれど、保守層や知識人たちは、むしろ伝統的な「モンロー主義」(アメリカ流の「鎖国」)に回帰する可能性が高いように思う。(プロ野球やバスケットボールの試合が自粛されたのは、好戦的な気分というよりは暗い厭戦感をむしろ表現している。)
好戦的になりにくい理由の一つは、今回のテロはまさに「アメリカを戦争に引きずり込む」ことを目的として行われたものだからである。アメリカ国民を好戦的にさせることそのものがテロの目的であるとすれば、いきり立つほどテロリストの思うつぼということになる。
アメリカがアフガニスタンを攻撃すれば、パキスタン、イラク、イランといった周辺国からアラブ全域には激しい反米気運が高まるだろう。無数のテロが行われ、中東和平構想は致命的に破綻するだろう。
ハンチントンの描いた「文明の衝突」の図式のままに、「コーランのカーテン」で世界が仕切り直されること、ある種の「停滞」と「硬直化」のうちに歴史が静止することをテロリストは目指している。
そして、皮肉なことに、おそらくアメリカ国民のかなりの部分も「共生とグローバリズム」の限界を感じ、ある種の「停滞」を受け容れてもいい気分にいまやなりつつある。
パレスチナ問題についても「もう共生はあきらめて、完全にユダヤ人だけの国とパレスチナ人だけの国に二分割して、没交渉になった方がお互いのためだ」という声がイスラエル内でも高まりつつある。これはかなり本音だろう。
これから先どうなるのか予測はつかないけれど、この「戦争」には「共生とグローバリズム」のイデオロギーと「孤立と自尊」のイデオロギーのあいだの理念の戦いという側面があることは確かだ。
それは言い換えれば、レヴィ=ストロースの言う「熱い社会」と「冷たい社会」のあいだの戦い、「歴史の進歩」を信じる人々と、「人間は変化しない」というという見解に与する人たちの戦いでもある。
そして、21 世紀になって私たちのあいだで支配的な「気分」はあきらかに「人間たちはそれほど理解しあえるわけではない。共生することが背を向け合うことより多くの暴力を生み出すような関係というものがたしかに存在する」というグルーミーなものなのである。
(2001-09-16 00:00)