9月10日

2001-09-10 lundi

秋深し。気温は昼間で 15 度というところ。日本の季節感ではもう晩秋である。
9時間半ほど爆睡して(しかし、よく寝る)ホテルの豪華な朝飯を食べる。(もう飽きた。ごはん、納豆、生卵、お漬物、お味噌汁、という朝ご飯がはやく食べたい。)
ホテルのロビーで『フィガロ』を読む。
フランスも社会の高齢化が問題になっている。2030 年には人口の 30% が 65 歳以上になるという完全な老人国である。フランス人は勤め人の半分が 55 歳で引退してしまうので、年金も老人医療も危機的である。
政府から国民へのお願いは(1)あと 10 年働いてください(2)もっと子供を産んでくださいの二点である。
新聞を読んで分かったのは、日本もフランスもどちらも「国が抱えている問題」というのはそれほどは違わないということである。つまりどこでも「これは、という解決策のない問題」だけが残る、ということである。
いまフランスが抱えている深刻な問題は(1)暴力化(2)老齢化(少子化・未婚者の激増)(3)バカ化の三つである。「暴力的でバカな少年たち」と「へろへろへの老人たち」が人口の支配的な比率を占めるとき、フランスの栄光は終わるであろう。まあ、どこの国でもそうだわな。

昼過ぎまでレヴィナスの翻訳。そのあと昼食を取りに街へ。
サン・ミシェルまで出て、ギリシャ料理のファーストフードで「ギリシャ風サンドイッチ」を食べる。肉とイモがぎっちり詰まって 25F。
腹ごなしに秋風にふかれてホテルまで散歩。ノートルダムの前を通ったので、旅の無事の「お礼参り」に立ち寄って 10F のお灯明を上げる。ブザンソンの大聖堂だと 10F 出すと高さ 30 センチくらいの豪快なろうそくが買えるが、ここではアルミの筒に入った1センチくらいのもの。やはり土地の神様に寄進する方がコスト・パフォーマンスがよい。
ぷらぷらとサン・ルイ島を抜けてバスチーユまで歩き、一休みして Cafe des phares でお茶をして、『リベラシオン』を読む。
南アのダーバンでやっていた Conference mondiale sur le racisme が先週末に閉会した。共同声明の文言で最後までもめていたらしいがヨーロッパ連合の斡旋でなんとか終結したというやや自画自賛の記事。
アメリカは早々に離脱してしまい、ジョージ・ブッシュは中東和平をはじめ外交上の完全な無策のせいで『リベラシオン』ではすでにバカ扱いされはじめている。(ブッシュ治下のアメリカがもたついているあいだに、ヨーロッパ連合が一気に国際政治の舵取り役になるぞ、という野心が行間ににじんでいる。)

それにしても『リベラシオン』では、「政治欄」にも「外交欄」にも、わずか3週間とはいえ、私の滞仏中、日本の政治家の名前がついに一度も(!)載らなかった。
これってけっこう「恥ずかしい」ことではないのだろうか。
ヨーロッパの街角でアンケートしたら、日本の首相が誰であるか知っている人はおそらく1%にも達しないであろう。
日本の新聞では「日米欧の三極構造」などというおめでたい国際政治図式が語られているけれども、これは夜郎自大もいいところで、国際政治における日本のプレザンスは少なくともフランスのメディアにおいてはかぎりなく「ゼロ」に近い。
これについて日本の外交関係者はどうお考えなのであろうか。たぶんなんにも考えていないのであろう。

8時にサン・ミシェルの噴水前で越くんご一行(ケイイチくん、アユさん、モモさん)と「最後の晩餐」。
ご同行は昨日と同じ三人。
サン・ミシェルのレストラン街で「とりあえず中華」ということで、最初に目についた「西湖」というレストランに入る。味はまあまあ。ヤキソバ、チャーハン、餃子、ワンタン、エビチリ、ホイコーローなどを食し、値段は一人 57F とリーズナブル。
サン・ミシェルのカフェで歓談してのち、Chatelet の駅でお別れする。

越くんにはブザンソン到着の瞬間から最後まで、ほんとうにご親切にしていただいた。私は近年日本の若い男性については期待度がひくいのであるが、今回、ブザンソンで堂々といきいきと活躍している彼の姿を見て、ずいぶんと楽観的になった。日本男児も捨てたもんじゃない。