秋晴れ。肌寒いが日差しは暖かい。
11 時過ぎまで爆睡したら、少し体調がもどってきたので、はじめて左岸へ出かける。
サン・ミシェルでブランチを食べて、旧跡めぐりをする。
1974 年に極貧パリの夏を過ごしたオデオンの Hotel Delavigne は三ツ星ホテルに昇格している。ここで竹信くんが「もつ煮込み定食ごはん大盛り」を食べたのも、いまは昔のできごとである。その界隈には「私はパリに嫉妬する」と歌った女流詩人が住んでいたスラムのごとき Hotel Stella がある。(埼玉でスナックを開いて大成功した余勢をかってパリ進出を企てたあの女傑はその後どうされたのであろう)
レヴィナスのインタビューを終えて興奮したまま三井さんや松本くんとFruit de mer を食べた La Mediterrannee はオデオンの角にある。
毎日ごろごろと本を読んでいたリュクサンブール公園もあいかわらず。前回の在仏中はリュクサンブールの木陰で土佐先生のインドネシア政治分析の論文を読んでいた。
「マックシェイク」の発音を直されてトラウマになった角のマクドナルドも健在。
87 年に松本くんやトシコ夫妻としばらく過ごした rue de Champolion の Hotel Champolion は廃業してしまったらしいが、二人で毎晩ビールをのんだ Cafe de la Sorbonne は盛業である。Livrairie J. Vrin はこの犬の糞だらけの小路の中ほどにある。ウインドウには埃をかぶったレヴィナスの『フッサールとハイデガー』が飾ってあった。『実存から実存者へ』も『フッサール現象学における直観理論』もこの小さな本屋から出た。老師が原稿の束をかかえてソルボンヌの門を出て、角を曲がり、短い足をぱたぱた運びながら、「おっととと」と犬の糞をよけて、この汚い本屋の入り口のドアをあけて「やあ、ブランさん、原稿できたよ」と挨拶している 70 年くらい前の風景を想像する。
左岸はあちこちの街角にそのときどきの記憶がずいぶん残っている。
今回、ほんとうはカルチェ・ラタンのまんなかの三つ星ホテルに投宿するはずだったのが、ドタキャンされてバスチーユの四ツ星ホテルに変更になった。このホテルもわるくはないけれど、ホテルから一歩出ると、レストランとカフェと本屋が並んでいて、セーヌまで徒歩1分というカルチェ・ラタンのホテルの方がやっぱりよい。
サン・ミシェル通りを下ると 96 番のバスが来たので、それに飛びのってホテルまで帰る。今回のパリではジロー先生のご教示のおかげでバスの使いよさがよく分かった。メトロは乗り換えでやたらに歩かされるし、階段の上り下りが多いが、バスはほとんど door to door で運んでくれる。
ホテルにもどって昼寝。今日の晩御飯は「うどん」とおにぎりとキリンラガー。学生三名サチコ、ジュンコ et イツカがご同行。
もうフランス料理もワインも少しも欲しくない。
「カツどん」「ヤキソバ」「冷麦」「親子丼」「かつカレー」「お好み焼き」といった「でんぷん」ものを身体はひたすら求めている。
「浪速や」というこのうどん屋にはさすがにフランス人客はあまりいない。「ずるずる」と汁を飛び散らかしながらものを食すのが彼らの美意識には耐えがたいのかも知れない。こちらは委細構わず「ずずずずず」とうどんつゆを啜りまくる。
帰国まであと三日。
帰心矢の如し。
(2001-09-09 00:00)